2015年06月10日
第66回 京都薪能 1日目
第66回 京都薪能 平安神宮御創建120周年記念〜神々の想い・祈りの風
今年も、早々に準備をして、出掛けました。
先頭行列メンバーは、相変わらずです。
第1日目の番組は、以下の通りです。
観世流半能「逆矛(さかほこ)」
-火入れ式・市長挨拶-
観世流半能「半蔀(はじとみ)」
観世流能「菊慈童(きくじどう)・遊舞之楽(ゆうぶのがく)」
大蔵流狂言「福部の神(ふくべのしん)・勤入(つとめいり)」
金剛流能「国栖(くず)・白頭(はくとう)」
今年は最前列正面左側の席を確保。お弁当タイムです。おばんざいのお弁当を作ってみました。
今年は、昨年より過ごしやすい天候で、雨の心配もなくの開催となり、いい感じです。5月17日(日)に、プレビュー公演が、京都文化博物館にて開催されていたようですね~。減少傾向にある地元の来場者を増やそうとの取り組みだそうです。確かに、他府県からいらしている方は多いですね。雨天順延に備えて、連泊されてたりして、感心してしまいました。
薪能は、屋内の上演とはまた違う魅力がありますからね~。ハマるとやめられません。たまに能楽堂で見て、ここで風を送って~とか思ってしまいますし…。そういう演出をしてはいけないものでしょうか?
「逆矛」
半能なので、前シテの老人場面は端折られて、ツレの天女の舞と、サービス精神旺盛な瀧祭明神が、逆矛を携えて現れ、国生みの様子を再現してみせてくれて、御代の平和を祈り寿ぐというシーンとなります。平安神宮御創建120周年記念にふさわしい幕開けですね~。
パンフレットは半蔀でした。
「半蔀」こちらも半能 五条あたりまでやって来た僧が夕顔の花に昔を偲んでいると、半蔀を押し上げ、一人の女が現れます。源氏の君とのなれ初めを語るうち、夜が明け始め、静かに半蔀の内へと、入ってゆきます。花供養の僧の夏の幻想といった趣に描かれた夕顔は、儚げな美しさを漂わせて、その恋の結末も見せずに終わります。その後の展開が分かっているだけに、余計、キュンとなる感じがしますね~。
この日は、大好きな「菊慈童」に合わせて、菊慈童柄の着物に、流水の帯、菊の帯留のコーディネートにしてみました。
比翼なしの袷の色留でしたが、重陽の節句や能の鑑賞に気軽に着られるようにと、単衣に縫い直してみました。
「菊慈童」
この曲は、かつては前後二場であったのでしょうか?現行のスタイルは、1場面となっていて、すぐに菊慈童が現れます。不老不死の少年は、そのいきさつを述べ、楽を奏し、菊水の流れを汲んでは勅使に勧め、自らも飲みます。無垢な慈童の楽しげな様が、なんとも好きな曲です。それは、自分が一人遊びを得意とするせいでもあるのでしょうけど、700年間も一人遊びするというのも、結構大変?かもですね~。
「福部の神・勤入」
パンフレットによると、福部の神の役は、千作さんの最後の役であったそうです。跡継ぎの千五郎さんにとって、感慨深い曲でしょうね。茂山家内揃ってのお舞台、福部の神の後ろに、もう一人 福の神が見守っていらっしゃるような…。
「国栖・白頭」
子方の王は、昨年同様、廣田明幸(はるゆき)くんです。なんとも可愛くて、目が離せません。壬申の乱の際の吉野を舞台としてしています。吉野はこの春、訪れたばかりですので、イメージしやすく、といっても千三百年ばかり時を経ていますが…。(先の戦が応仁の乱という京都人ですから、大した問題ではない?)老夫婦に守られ、蔵王権現に守護を約束される浄見原天皇、めでたき曲でした。
- by zuzu
- at 15:26
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