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2015年06月26日

等持院 半夏生 2015

両足院で満喫した半夏生ですが、等持院・大覚寺・勧修寺などでも見る事が出来るとの事で、等持院に足を延ばしてみました。12-830.jpg
茶席前の芙蓉池12-829.jpg
奥の心字池 半夏生はこちらの池の周りに群生しています。12-828.jpg
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両足院よりも、白い部分が少ないようです。葉も少し小ぶりかも。12-825.jpg
これから見頃になるといったところでしょうか。12-824.jpg部分的には見頃を迎えていますね。12-823.jpg
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2015年06月24日

両足院 半夏生 2015

6月22日 今年も見頃になったという半夏生を見に、両足院に出掛けました。12-844.jpg12-843.jpg
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宣伝効果も上がって、大勢の見物客です。庭に出るのは、茶券を買った人のみで、スリッパの数だけ20人ずつとなっていました。大勢が庭にいると、眺めが悪くなりますからね~。12-841.jpg12-840.jpg12-839.jpg
前日の雨でしっとりした庭園は、まさに見頃で、お手入れも行き届いていて、美しいです。12-838.jpg
この菓子がまたいいですよね~。12-837.jpg12-836.jpg
お抹茶の写真、撮り忘れてしまいました。12-832.jpg
着物は去年に引き続きですが、自作の半夏生です。帯は流水模様に変えてみました。緑石とパールのイヤリングを縫い止めて帯留にしてみました。簪も手持ちの緑石の物に もう片方のイヤリングを合体させてみました。半夏生に見立てたつもり?12-831.jpg
茶席に同席していらした方に、半夏生のお着物ですかと聞かれ、結構受けました。来年はどうしたものか!12-835.jpg12-834.jpg12-833.jpg
この季節のお気に入りのお庭、満喫しました。


 

2015年06月18日

三輪晁勢 ―色彩の歓喜―展

堂本印象の一番弟子であったという日本画家・三輪晁勢の大回顧展が14日まで、堂本印象美術館で開催されていました。12-851.jpg
色彩の歓喜と副題が付いた展覧会パンフレットや、割引チケットの絵が確かに色彩が溢れ出してくるようだったので、観に行ってみました。12-849.jpg12-847.jpg
全館、印象によるデザインというこの館は、個性的で目立ちます。12-846.jpg
1901年(明治34)新潟県で生まれ、尋常小学校卒業後、京都に移り住んでいます。
1921年(大正10)には京都市立絵画専門学校に進学し、上村松篁、麻田辨自、池田遙邨らとともに日本画を学んだそうです。今も街中を走っていて目にするヤサカバスが、この方のデザインによるものだと、初めて知りました。黄色の車体に映えるえんじ色の曲線は、賀茂川の友禅流しを表現しているのだそうです。12-850.jpg
菖蒲を描いたこの作品もインパクトがあります。「春庭」と題した桜の木に2羽の鶴を描いた絵が、とても印象に残りました。桜の下で鶴が和んでいるなんて庭はちょっと見かけた事はありませんが…。動物園以外にいる鶴を見てみたくなりました。12-845.jpg
お隣が、印象さんの邸宅のようですね。

2015年06月12日

第66回 京都薪能 2日目

第66回 京都薪能 2日目も同じ席をゲットしました。12-864.jpg
2日目の番組は、以下の通りです。
   観世流半能「龍田(たつた)」
   -火入れ式・理事長挨拶-
   観世流能「経正(つねまさ)・替之型(かえのがた)」
   金剛流能「羽衣(はごろも)・盤渉(ばんしき)」
   大蔵流狂言「夷毘沙門(えびすびしゃもん)」
   観世流能「小鍛冶(こかじ)」

「龍田」
紅葉の美しさを描いた能で、季節が違うのですが、この作では、竜田明神は天逆矛を守護する神とされている為、1日目の「逆矛」に対しての2日目の曲として、選ばれたのでしょうね~。紅葉の冠が可愛い龍田姫。竜田川の紅葉を一度見にいきたいものです。
理事長挨拶
今年から同時通訳が入ったとのことでしたが、あらかじめ用意した挨拶文を読み上げつつの英語アナウンスだったので、ちょっと同時通訳とは言い難いような…。まあ、外人客が多いので、良い事ではあります。
「経正・替之型」
能画名作百選より 「経政 月岡耕漁」12-856.jpg

先日、仁和寺を訪れて、気分を盛り上げていたので、舞台にスルッと馴染めた感があります。やっぱり予習しないとね~。
「羽衣・盤渉」
能画名作百選より 「羽衣 月岡耕漁」12-855.jpg
今回、森田保美氏の笛は、この「羽衣」のみでした。森田氏の笛は、シャキーンとして、空気張り詰める感があって好きです。ワキは原大さんですし(*^^*)シテは金剛永謹さん。どんな面で登場されるかドキドキします。
「羽衣 松野奏風」12-853.jpg
昨年の花筐の時とは全く違う、色白で涼やかな顔立ちの天女でした。長絹は、上村松篁氏原画の鳳凰。ちょっと重そうな天女の羽衣ですが、ゴージャスです。 下に着てらっしゃる装束の柄も、自宅の掛け軸のものとよく似ています。
「羽衣 山口蓼州」12-852.jpg

「夷毘沙門」
門前で座り込みをしている時に、この夷三郎さまの鯛が、目の前を通ってゆきました。
神様も美女に弱いのですね~。人間のところに婿入りしようとやってくる、とても人間っぽい神様たちのお話でした。
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今年は、パンフレットにシテからのメッセージと題して、顔写真とコメントが掲載されました。シテの方は面を付けてから、舞台に出てらっしゃるし、カーテンコールなどというものもないので、お顔が見えない感がありますから、これはいいですね~。ちょっと親しみやすいかと思います。
「小鍛冶」
はつたと打てばちやうと打つ ちやうちやう\/と打ち重ねたる槌乃音。
軽快に剱を打つ様が小気味良い曲です。でも、この刀身打つスペース、狭くないかしらん?と思ってしまいます。寸法は昔から決まっているののでしょうけど…。昔の人はもっと小柄だったのではないでしょうか?
能画名作百選より 「小鍛冶 月岡耕漁」12-854.jpg

今年も2日間の薪能を満喫しました。何やら、梅雨入りが早まってきているようですが、来年も雨天になる事なく、観能を楽しみたいものです。

2015年06月10日

第66回 京都薪能 1日目

第66回 京都薪能 平安神宮御創建120周年記念〜神々の想い・祈りの風12-868.jpg
今年も、早々に準備をして、出掛けました。12-867.jpg
先頭行列メンバーは、相変わらずです。 
第1日目の番組は、以下の通りです。 
   観世流半能「逆矛(さかほこ)」
   -火入れ式・市長挨拶-
   観世流半能「半蔀(はじとみ)」
   観世流能「菊慈童(きくじどう)・遊舞之楽(ゆうぶのがく)」
   大蔵流狂言「福部の神(ふくべのしん)・勤入(つとめいり)」
   金剛流能「国栖(くず)・白頭(はくとう)」
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今年は最前列正面左側の席を確保。お弁当タイムです。おばんざいのお弁当を作ってみました。12-865.jpg
今年は、昨年より過ごしやすい天候で、雨の心配もなくの開催となり、いい感じです。5月17日(日)に、プレビュー公演が、京都文化博物館にて開催されていたようですね~。減少傾向にある地元の来場者を増やそうとの取り組みだそうです。確かに、他府県からいらしている方は多いですね。雨天順延に備えて、連泊されてたりして、感心してしまいました。12-863.jpg
薪能は、屋内の上演とはまた違う魅力がありますからね~。ハマるとやめられません。たまに能楽堂で見て、ここで風を送って~とか思ってしまいますし…。そういう演出をしてはいけないものでしょうか?
「逆矛」
半能なので、前シテの老人場面は端折られて、ツレの天女の舞と、サービス精神旺盛な瀧祭明神が、逆矛を携えて現れ、国生みの様子を再現してみせてくれて、御代の平和を祈り寿ぐというシーンとなります。平安神宮御創建120周年記念にふさわしい幕開けですね~。
パンフレットは半蔀でした。
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「半蔀」こちらも半能 五条あたりまでやって来た僧が夕顔の花に昔を偲んでいると、半蔀を押し上げ、一人の女が現れます。源氏の君とのなれ初めを語るうち、夜が明け始め、静かに半蔀の内へと、入ってゆきます。花供養の僧の夏の幻想といった趣に描かれた夕顔は、儚げな美しさを漂わせて、その恋の結末も見せずに終わります。その後の展開が分かっているだけに、余計、キュンとなる感じがしますね~。12-859.jpg
この日は、大好きな「菊慈童」に合わせて、菊慈童柄の着物に、流水の帯、菊の帯留のコーディネートにしてみました。12-858.jpg
比翼なしの袷の色留でしたが、重陽の節句や能の鑑賞に気軽に着られるようにと、単衣に縫い直してみました。
「菊慈童」
この曲は、かつては前後二場であったのでしょうか?現行のスタイルは、1場面となっていて、すぐに菊慈童が現れます。不老不死の少年は、そのいきさつを述べ、楽を奏し、菊水の流れを汲んでは勅使に勧め、自らも飲みます。無垢な慈童の楽しげな様が、なんとも好きな曲です。それは、自分が一人遊びを得意とするせいでもあるのでしょうけど、700年間も一人遊びするというのも、結構大変?かもですね~。
「福部の神・勤入」
パンフレットによると、福部の神の役は、千作さんの最後の役であったそうです。跡継ぎの千五郎さんにとって、感慨深い曲でしょうね。茂山家内揃ってのお舞台、福部の神の後ろに、もう一人 福の神が見守っていらっしゃるような…。
「国栖・白頭」
子方の王は、昨年同様、廣田明幸(はるゆき)くんです。なんとも可愛くて、目が離せません。壬申の乱の際の吉野を舞台としてしています。吉野はこの春、訪れたばかりですので、イメージしやすく、といっても千三百年ばかり時を経ていますが…。(先の戦が応仁の乱という京都人ですから、大した問題ではない?)老夫婦に守られ、蔵王権現に守護を約束される浄見原天皇、めでたき曲でした。
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睡蓮

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久しぶりの花イラスト更新です。

2015年06月06日

仁和寺と平経正

仁和寺の御殿 拝観に出掛けました。
東門12-891.jpg
今年の京都薪能の2日目の演目の中に、「経正」があるので、その舞台となった地をあらかじめ訪れて、気分を高めるためです。12-890.jpg
勅使門12-889.jpg
本坊表門12-888.jpg
本坊に入る前に、立派な二王門を見学12-887.jpg
古びたたたずまいが何とも美しい門です。応仁の乱で、焼けてしまった後、徳川家光の寄進により再興されています。12-886.jpg
阿吽の二王像12-885.jpg12-884.jpg
後面には唐獅子像12-883.jpg12-882.jpg
光孝天皇の勅願になる寺ですが、完成を待たずに崩御された遺志を継いで、宇多天皇が完成、仁和4年(888)に、光孝天皇の一周忌を兼ねた落慶供養が催されたということです。
御殿入口12-881.jpg
宇多天皇が譲位の後、出家してここを住房とされた事に始まり、代々皇族が継承することとなり、御室(御所)と尊称されるようになり、門跡寺院として発展してゆきました。12-880.jpg12-879.jpg
鳥羽天皇の第五皇子 覚性入道親王(母は待賢門院藤原璋子)は、親王宣下の後に、保延元年(1135)わずか6歳の時に仁和寺に入寺し、後に第5世門跡となっています。白河院崩御のすぐ後に生まれたこの皇子は、後ろ盾を亡くした待賢門院藤原璋子が、その力を失っていく中、覚法法親王の後継としての入寺でした。
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保元の乱の際、御所を脱出して逃げていた崇徳院が、同母弟であるこの覚性入道親王を頼って仁和寺に入り、取り成しを依頼するも、その申し出を断ったとされています。兄たちの争いに巻き込まれ、苦しい選択であったのかもしれません。12-877.jpg
その覚性入道親王が、幼少時を仁和寺で過ごした平経正を寵愛し、楽才を認め、琵琶の銘器「青山 」を下賜します。12-876.jpg12-875.jpg
寿永2年(1183)平経正が都落ちの際に仁和寺に立ち寄り、先代覚性法親王より拝領の琵琶「青山」を返上した折、守覚法親王(しゅかくほっしんのう)と別れを惜しみ歌を交わしています。
あかずして 別るる君が 名残をば 
              後の形見に つつみぞおく  守覚法親王

呉竹の 筧(かけひ)の水は かはれども 
              なほすみあかぬ 宮の内かな  平経正
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幼き頃より親しい間柄の行慶は別れを惜しみ、桂川の岸辺まで送ってゆき、別れ際、和歌を贈ります。
あはれなり老木(おいき)若木も山桜 おくれ先だち花はのこらじ 

経正の返歌
旅衣夜な夜な袖をかた敷きて 思へばわれは遠くにゆきなん
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翌年 経正は、一ノ谷の戦いにおいて、河越重房の手勢に討ち取られます。12-872.jpg
能「経正」
討ち死した経正を憐れに思われた宮が、琵琶を仏前に供え、管弦講を催して、その霊を弔うよう、行慶に命じます。法事を執り行っていると、ありがたく思った経正の幽霊が現れ、青山を奏で、舞を舞って楽しみますが、やがて、修羅の苦しみに襲われます。その姿を見せまいとして、灯火を嵐と共に吹き消して、経正の霊は暗闇の中に消え失せます。12-871.jpg
琵琶を愛する平家の公達の無邪気さや悲しさが、感じられる曲です。12-870.jpg
グッズ売り場で、ストラップを買い求めました。12-869.jpg