2015年01月28日
第49回 京の冬の旅 本法寺
第49回 京の冬の旅 2か所目は、ご近所の本法寺です。
お花見などで、境内はよくお邪魔しているのですが、中を見せて頂くのは初めてです。
本法寺は、永享8年(1436)、久遠成院日親上人により、東洞院綾小路に建立されたのが始まりとされています。、時の将軍足利義教に「立正治国論」を献じ、平和の招来を直言しましたが、これが将軍の忌諱に触れ獄舎に投ぜられた上、寺も焼却されました。その刑罰は、過酷なものであったそうで、焼鍋を頭にかぶせられたりしたようで、冠鐺(なべかぶり)日親上人と称されるようになったとの話です。
同じころ、獄中にあったのが、本阿弥光悦の曽祖父である本阿弥清信です。刀剣の鞘走が原因で、投獄され、獄中で、日親上人と出会い、教化されて熱心な法華信者となります。
以来、本阿弥家は、本法寺を菩提寺とし、豊臣秀吉によって、現在の地に移転する際、光悦とその父 光二は、私財を投じ、伽藍の整備に力を尽くしたという事です。
写真が、光悦によって造られたという「巴の庭」です。
半円を2つ組み合わせた円形の石が「日」。
今は枯れていますが、蓮が植えられている池。 「日 蓮」を表現したと言われているそうです。
光悦作「花唐草螺鈿経箱」(重文)は、夜光貝の細工が美しい逸品です。その他、赤楽の馬上杯、翁面などが寺宝として、展示されていました。長谷川等伯の仏涅槃図のコピーも飾られていましたが、引き延ばした画像なので、ややぼやけている箇所もあり、長谷川等伯展の際に観た実物には遠い感じがしました。虫干しの際、また公開されるようです。
- Permalink
- by zuzu
- at 13:21
- in 009京都 洛中
- Comments (0)
- Trackbacks (0)