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2013年12月19日

新島八重 墓所

大河ドラマ「八重の桜」も終わったので、最後に左京区鹿ケ谷の墓所を訪ねてみました。9-271.jpg
まず、熊野若王子神社にお参り。9-293.jpg
宮司さんから、新島襄・八重と熊野若王子神社とのご縁という解説書を頂きました。神社横の山道を上ってゆきます。徒歩20分ぐらいとの事。9-292.jpg
解説書によると、八重さんの兄 山本覚馬氏が京都府顧問をされていた関係でこちらの26代宮司 伊藤快彦氏と接点があったという話です。山本氏から新島がアメリカから招いた宣教師の方々が亡くなった時、埋葬する場所が無く、耶蘇教という偏見が強く困っているという話を聞き、当時 社領地であった裏山を埋葬地にと申し出られ、同志社共同墓地として埋葬されたそうです。9-291.jpg9-290.jpg
女性の一人歩きはやめましょうとか、イノシシが出るとかの表示もあった通りの山道ですが、さすがに大河ドラマの余韻冷めやらぬ時期とあって、そこそこ墓参の人達とすれ違いました。9-289.jpg9-288.jpg
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暑くなってきたのでフリースを脱いで、腰に巻きつけます。9-286.jpg
当初、新島氏は父の民冶と同じ南禅寺に葬られる予定になっていたようですが、やはり断られ、こちらに運んだという事です。当時、画家であった伊藤宮司は、自己の社領に新島氏が葬られた縁を想い、肖像画を描いたという事です。同志社に寄贈されたその肖像画は、現在礼拝堂に飾られています。9-285.jpg
墓所が見えてきました。
新教初代宣教師ウィリアムス監督追慕碑9-284.jpg
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さらに進んでゆくと、ようやくありました。門の脇に、登り口に置いてあった杖が、返却されて一杯になっていました。9-280.jpg9-282.jpg9-281.jpg
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正面が新島襄の墓です。勝海舟の揮毫によるもので、現在の墓碑は1987年に再建されたものだそうです。9-279.jpg
向かって左側に八重さん 徳富蘇峰の揮毫9-278.jpg
そのお隣が新島民冶とその家族 南禅寺から移したのでしょうか?9-277.jpg
その横には、宣教師の方々の共葬墓やグリーン夫妻の墓が並んでいます。
徳富蘇峰の墓 本人の揮毫9-273.jpg
その隣が山本覚馬の墓です。9-276.jpg
覚馬・八重の両親と三郎9-275.jpg
覚馬の娘 久栄9-274.jpg
向かい側には同志社ゆかりの方々の墓が並んでいます。新島襄の右隣は、デイビス氏の墓です。9-272.jpg
この間まで観ていたドラマの登場人物が大勢いらっしゃるので、皆さんお疲れ様でしたと云ってしまいたくなりますね~。もちろん演じてらしたわけではなく、ご本人が眠ってらっしゃるのですけど・・・。

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