2013年12月31日
良い年をお迎えください
さて、際になって、バタバタ更新していますが、ようようエンディングです。
人間万事塞翁が馬
塞翁さんちから逃げ出した馬が、駿馬を連れて帰ってくる途中を描いてみました。
今年も当ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。
良い年を お迎えください。
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- by zuzu
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2013年12月31日
さて、際になって、バタバタ更新していますが、ようようエンディングです。
人間万事塞翁が馬
塞翁さんちから逃げ出した馬が、駿馬を連れて帰ってくる途中を描いてみました。
今年も当ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。
良い年を お迎えください。
12月19日 京都コンサートホールで、佐村河内守作曲の交響曲第1番”HIROSIMA"のコンサートが開催されていました。
春ごろにテレビで紹介されていた時に興味を覚え、チケットを買っていました。交響曲は、聴く機会が少ないので、ちょっと不安もありましたが、聴力を失ってもなお、そんな大がかりなものを作曲出来るなんて、すごすぎる!と、ともかく聴いてみました。ご本人も1階後方に座られ、京響の演奏を見守ってらっしゃいました。まさに、観て感じているという事なんだろうなと、想像しながら・・・。A席を予約したので、3階真ん中の席でしたが、交響曲を聴くには、いい感じの席のようにも感じました。楽器の種類も多く演奏者も多いので、一度にいろんな音が重なる事になります。その音を頭の中だけで把握して、長時間の曲を創り上げるのですから、まあ半端じゃない作業ですよね~。ちょっとパワーおすそ分けしてもらいました。
12月10日まで、学校歴史博物館で「近代京都画壇を育んだ人たち」という展覧会が開催されていました。
明治以降、京都の画壇では多くの人材を輩出し続けてきました。画塾や画学校で学んだ人たちの作品を集めたミニ展覧会です。伝統を継承しつつ、新しい表現を取り入れ、個性を発揮した作家たちの足跡が窺えました。
2013年12月30日
11月25日 みやこめっせでは、盆栽の展示会がありました。
ちょっとお勉強にと覘きました。
かなりぐにゃぐにゃしたものもあったり、すっきりしたシルエットのもの、力強いものもありとそれぞれ表情が違い、興味深いです。
掛軸とコラボしているのでしょうか?雀が枝に止まりそう。
即売もしていたのですが、これいいな~とか思うと結構なお値段・・・。小さいのを買って自分で育てるのが、いいのでしょうね。
2013年12月29日
泉屋博古館にて、12月15日まで木島櫻谷の展覧会が開催されていました。以前旧邸の見学をしてから、いろんな作品を観てみたいと思っていたので、竹内栖鳳展から、はしごしてみました。
こちらも展示替えがあったので、一部観れない作品があり、ちょっと残念でした。月曜定休日の身の上なので、美術館通いは結構厄介です。
栖鳳さんとは、また違う動物画に、惹かれるものがあります。夏目漱石が酷評したという「寒月」が観たかったな~。私はこの作品、結構好きなので。またの機会がなるべく早く訪れますように・・・。
2013年12月28日
紅葉などを先に書いたので、美術展関係が後回しになり、バタバタしているうちに、早や年末になってしまいました。
竹内栖鳳展の作品の入れ替えの多さに、後期も出掛ける事にしました。
着物で行こうと、栖鳳さんにあやかり、竹の帯に雀を描き加えてみました。
下地に胡粉を置いて、その上に描いてみました。
縮緬は凸凹があって、描きにくいですね。前柄は、飛んでいるところを。
後期だけの展示の「班猫」も観れて、満足でした。
前回パスした併設の「下絵を読み解く」の会場も、入ってみました。入念な下絵はさすがですね~。
2013年12月19日
大河ドラマ「八重の桜」も終わったので、最後に左京区鹿ケ谷の墓所を訪ねてみました。
まず、熊野若王子神社にお参り。
宮司さんから、新島襄・八重と熊野若王子神社とのご縁という解説書を頂きました。神社横の山道を上ってゆきます。徒歩20分ぐらいとの事。
解説書によると、八重さんの兄 山本覚馬氏が京都府顧問をされていた関係でこちらの26代宮司 伊藤快彦氏と接点があったという話です。山本氏から新島がアメリカから招いた宣教師の方々が亡くなった時、埋葬する場所が無く、耶蘇教という偏見が強く困っているという話を聞き、当時 社領地であった裏山を埋葬地にと申し出られ、同志社共同墓地として埋葬されたそうです。
女性の一人歩きはやめましょうとか、イノシシが出るとかの表示もあった通りの山道ですが、さすがに大河ドラマの余韻冷めやらぬ時期とあって、そこそこ墓参の人達とすれ違いました。
暑くなってきたのでフリースを脱いで、腰に巻きつけます。
当初、新島氏は父の民冶と同じ南禅寺に葬られる予定になっていたようですが、やはり断られ、こちらに運んだという事です。当時、画家であった伊藤宮司は、自己の社領に新島氏が葬られた縁を想い、肖像画を描いたという事です。同志社に寄贈されたその肖像画は、現在礼拝堂に飾られています。
墓所が見えてきました。
新教初代宣教師ウィリアムス監督追慕碑
さらに進んでゆくと、ようやくありました。門の脇に、登り口に置いてあった杖が、返却されて一杯になっていました。
画像の拡大
正面が新島襄の墓です。勝海舟の揮毫によるもので、現在の墓碑は1987年に再建されたものだそうです。
向かって左側に八重さん 徳富蘇峰の揮毫
そのお隣が新島民冶とその家族 南禅寺から移したのでしょうか?
その横には、宣教師の方々の共葬墓やグリーン夫妻の墓が並んでいます。
徳富蘇峰の墓 本人の揮毫
その隣が山本覚馬の墓です。
覚馬・八重の両親と三郎
覚馬の娘 久栄
向かい側には同志社ゆかりの方々の墓が並んでいます。新島襄の右隣は、デイビス氏の墓です。
この間まで観ていたドラマの登場人物が大勢いらっしゃるので、皆さんお疲れ様でしたと云ってしまいたくなりますね~。もちろん演じてらしたわけではなく、ご本人が眠ってらっしゃるのですけど・・・。
2013年12月12日
12月9日 これぐらいの季節になると、散り積もった落ち葉を、ばさばさと蹴飛ばして歩きたい衝動に駆られます。
でもって、御苑に出掛けました。
ほら、蹴り上げるのにちょうどいい感じ(^^)
表面の落ち葉は、乾燥してカサコソ音を立て、そのちょっと下の方まで靴を突っ込むとちょっとしっとりした落ち葉がひたっと張り付いたりするのが、微妙に楽しい・・・。
ぼちぼち、冬本番ですね~。
2013年12月08日
真如堂を南へ、金戒光明寺に向かって歩いていく途中、東側に美しい紅葉の見えるお寺があります。栄摂院(えいしょういん)という金戒光明寺の塔頭です。
観光寺院ではありませんが、門は開かれています。
山門横の紅葉の美しさに惹かれ、立ち止まる人も多いようです。
中門をくぐると、目を見張る景色です。
奥のお庭には入ることは出来ません。
燃えるような紅葉は圧巻です。仏様が静かに鎮座されていて、独特の空気を感じます。
決まった拝観料ではなく、志を入れてくださいという形をとっていらっしゃいました。
2013年12月06日
11月25日 曇り空の中、東山山中の清閑寺に出掛けました。
六条天皇と高倉天皇の御陵も、静かに紅葉を迎えていました。
階段を登りきったところが、清閑寺です。
人っ子一人いない境内
黒田清輝がここに立ち寄った際に感銘を受け、「昔語り」という作品を描いたそうです。
高倉天皇の寵愛を受けるも、平清盛の怒りに触れ、清閑寺で出家させられた小督の物語が描かれています。
要石 ここに立つと京都の街が扇を開いたように見え、その扇の要にあたる事から、「要石」と呼ばれています。
小督の桜
茶室「郭公亭」跡 幕末に西郷隆盛と清水寺成就院住職の月照上人が密談した場所ですが、腐食激しく、平成3年解体されたそうです。
高倉天皇は、小督のいる清閑寺に葬ってほしいと遺言して21歳で亡くなられています。
清水寺にほど近いこちらのお寺は、静かに平安の御代を想う事が出来る場所でした。