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2013年09月21日

『夏の終り』

コロコロコロッケパンを食べて、カレースープまで飲んでおいて、観に行った映画は、『アタル劇場版』ではなく、『夏の終り』です。

満島ひかりは、このところお気に入りの注目女優ですし、はまり役すぎる小林薫に旬の綾野剛というのもやっぱり観ておこうかしらんと思い、台風の余韻漂う中を出掛けました。

事前に取り急ぎ、原作の瀬戸内寂聴筆の「夏の終り」を読んでゆきました。これが幸いしたようです。
読んでなければ、ストーリーの中に、過去が断片的に挿入されていく感じが、混乱を招く結果になったように感じました。
説明的な要素を意図的に省いている感があり、セリフも少なめで、空気で理解してねといったニュアンスです。
どうも、「夏の終り」をはじめとする「あふれるもの」「みれん」「花冷え」「雉子」の連作5篇などを読んでいたり、寂聴さんの自伝を知っていたりする前提のもとに観る映画という感じです。

その方が、交錯する現在と過去がすんなり理解出来て、原作や映画の醸し出す空気感に入り込みやすいようです。

坂道の左右の道へ、それぞれが隣り合わせで前方に向かって歩きながら、上下に別れていく様子は視覚的におもしろい感じでした。
部分的に、時間が止まっている演出も、結構好きです。

少し前の(結構前の?)時代の日本の風景と着物姿がとってもノスタルジックで、そそられます。やけにタバコを吸っているシーンが多いと感じるのも、時代の流れですね~。

登場人物3人と、画面には出てこないが存在している小説家・小杉(小林薫)の妻、それぞれの思いが、それぞれに解るようでもあり、息苦しく感じられました。
満島ひかりが演じる相澤知子が、年下の元駆け落ち相手で、再び関係を持つようになった木下涼太(綾野剛)に、「僕にはどんな感情があるんだと迫られて「憐憫よ!」なんてのたまうあたりや、涼太の家からの帰り道に「うるさい・・・」とか、独り言を言い放つあたり、寂聴さんだ~て思って、笑ってしまいました。
染織作家である知子の藍染作品や型紙が、また視覚的に情念が感じられて、いい演出効果があったようです。
やっぱり日本映画はいいな~。

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