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2013年09月07日

京都市学校歴史博物館

大河ドラマも京都が舞台となって、興味深いこの頃です。
山本覚馬が、岩倉具視の指示によって釈放された明治2年(1869年)、京都では、日本で最初に番組小学校とよばれる学区制の小学校が64校つくられていました。
文部省の明治5年の「学制」頒布より3年先だって作られています。京都の小学校は、政府の学校制度によってつくられたものではなかったのですね~。
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この京都独自の小学校の設立に興味を覚え、御幸町通仏光寺下るにある京都市学校歴史博物館を訪れてみました。8-033.jpg
お向かいも、時代を感じるお店が並んでいます。8-028.jpg8-027.jpg

門をくぐり、グラウンドの向こう側に、旧成徳小学校玄関車寄せが移築された入り口が見えます。8-032.jpg
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大政復古の前から、西谷淇水(にしたに・きすい)という寺子屋経営者(教育家)や画家の森寛斎、幸野楳嶺、文具商の鳩居堂の熊谷直孝らが集い、寺子屋を近代化する方策を検討し、1867(慶応3)年から翌年にかけて、奉行所と新政府に対し、小学校の設置を建白しています。

それまであった戸数にばらつきのある自治自営の町組の組織を編成替えし、戸数を平均化した町ごとに小学校を設立。児童教育の場としてだけでなく、町組会所であり、消防署、警察署でもあり、時刻を知らせる時報台でもあり、役所の役割も担っていました。
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天皇が江戸に行幸されたまま戻られないという青天の霹靂の事態に、さびれる京都の再興は人づくりにあると考えた町衆の働きが、大きな力となり、京都の近代化が進んでいったのですね。もちろん、初代知事の長谷信篤や、二代目府知事となる槇村正直ら京都府の役人の尽力も大きかったようです。

常設展示は、幕末から戦後の教育にいたる資料の他、学校給食のあゆみの展示もあって「そうそう、こんなん食べてた!」と思わず声を出してしまったりして、楽しいものでした。
企画展は、「学校のたからもの」と題して、文芸を磨くことを重視した小学校教育を受けた卒業生が後に学校に寄贈した貴重な作品が展示されていました。
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常設展示の中に母校の火の見櫓が出ていたので、懐かしくなり写真を撮りに行きました。8-025.jpg
元有済小学校 太鼓望楼 明治9年(1876年)築
現在、鉄筋校舎屋上にある望楼は、かつて正午の時を告げる太鼓場であり、学区内の火事を見張る火の見櫓であった。
写真の建物があった場所には、現在消防団の建物がある。
平成17年2月国登録有形文化財となった。

                         常設展の展示説明より

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