2013年08月24日
京の夏の旅 2013 祇園甲部歌舞練場庭園 続編
京の夏の旅 2013 祇園甲部歌舞練場庭園の方に下りてみました。
立派な鯉たちが泳いでいます。
これまた立派な一枚石ですね。先日、池に落ちた人がいたとの事で、ちょっと無粋な注意書きが目立ちます。
織田信長の弟で茶人であった織田有楽斎の邸跡と伝えられています。
有楽斎の作った国宝の茶室にちなんで名付けられた茶室「如庵(じょあん)」
庭園の北東に位置する真ん中の大きな木の北隣が、崇徳天皇御廟です。
こちらの庭とは、白い土塀で仕切られています。
東の御廟側から
菊の紋の扉で、歌舞練場敷地側と仕切られているのが見えます。
崇徳上皇の寵愛厚かった阿波内侍が、このあたりに住まいしていて、院の遺髪を請い受け邸内に、一塚を築いて亡き上皇の霊を慰めたとの伝承があります。
西田直二郎氏の『京都史蹟の研究』によると、歌舞錬場敷地内にも墳丘があり、そちらが「崇徳院御廟所」址で、現在の「崇徳天皇廟」は「御影堂」址というように推定されています。現在の「崇徳天皇廟」墳丘上にある石碑も、もともとは歌舞錬場の中にあったものが移されたものだという話です。
墳丘の上には、阿波の内侍の墓とも伝わる五輪塔が置かれていたと云います。
この墳丘の位置が、見学した折にはよく分からなかったのですが、帰ってきてまたあれこれ検証してみて、思い至ったのが、この写真です。立ち入り禁止の向こう側、御廟からすると背後西側、別館の北の茂みが、どうやらそれではないかしらんと?
画像の拡大
昭和36年の墳丘写真と比較してみて、撮った角度は違いますが、周りの建物・石積みなどから、間違いないかと?
さて、五輪塔も現存するのかしらん?
- by zuzu
- at 10:31
comments
この茂みでしたか。
これは気が付かなかったですね。
私は茶室の裏側とか、御廟の近くばかり気にしていました。
良く判りましたね。
私も北東ばかりを意識していたので、
見学した時には判らなくて、
取り敢えず写真をあちこち撮って帰りました。
帰ってから、資料と写真・グーグル航空写真なども
照らし合わせ、やっと理解出来ました。
五輪の塔、確認させてもらえないものかしらん?