Search


2013年07月24日

小倉百人一首殿堂 時雨殿

一度訪れたいと思いながら、月曜定休であったり、行こうとした時にリニューアル中だったりして、機会を逃していた嵯峨の時雨殿をやっと訪れました。8-201.jpg
伊藤寿子さんの「和紙と綿棒が織りなす百人一首 8センチの世界」という人形展が開催されていたので、この機会にと思い立ちました。8-187.jpg
藤原定家が百人一首を編纂した小倉山の麓に建つこの施設は、平安時代に思いをはせるには最適な場所です。館内は、一部の古い資料を除き、撮影OKという事です。8-200.jpg
百首の和歌と共に、歌仙人形が展示されていました。
崇徳院8-199.jpg
当時の歌会のシーンを再現8-197.jpg
伊藤寿子さんの作品群8-196.jpg
和歌の情景が再現されていました。8-195.jpg8-194.jpg
8-193.jpg
細かい作業ですね。8-192.jpg

二階は、かるた大会などのできる120畳の大広間8-191.jpg
平安装束の無料体験コーナーがあります。8-198.jpg
ちょっと羽織ってみました(^^)8-190.jpg8-189.jpg
小学生や、高校生の頃に、夏休みの宿題で覚えたのを始めとして、なじみのある百人一首ですが、このところ、「ちはやふる」「うた恋い。」などの百人一首にまつわるマンガを読んで、ますますハマっているこの頃です。8-188.jpg
川縁に出ると、雅な船が泊まっていました。宮廷鵜飼の船でしょうか?こんな船に揺られて、歌など詠んだりしたらいいかも~。

2013年07月20日

片山定期能 2013年7月

7月15日
描き上げた帯を締めて、観世会館に向かいました。8-213.jpg8-211.jpg
片山定期能 7月の公演の演目は以下の内容です。8-203.jpg
最初は能「小督」です。以前にも見た事があるはずなのですが、覚えていません。今回はしっかり、脳裏に刻み込もうと、お舞台を観ます。

ワキの勅使が、小督の失踪を述べて、高倉の院がお嘆きで、嵯峨野あたりにいるという噂をお聞きになり探し出すようにとの勅諚を受け、シテ 弾正大弼源仲国を呼び出します。
仲国は、折から八月十五夜、小督はきっと琴を引かれるでしょうから、その音を便りに捜すことにしましょうと答え、院の下さった寮の御馬に乗って急ぎ出かけます。
中入の後、舞台は嵯峨野の小督の隠れ家となります。「想夫恋」の曲を引くその音色と片折戸(片開きの門)を頼りに、仲国はようよう訪ねてきます。
会うまいとするツレ 小督を、トモ 侍女がとりなし、内に入って、院の文を渡します。小督は院の思召しに感泣し、文の返事をしたため、名残を惜しんで、酒を勧めます。仲国は舞を舞って、小督を慰めた後、馬に跨って帰ってゆきます。

この名月の嵯峨野の情景を、頭の中に思い描けるかどうかが、お舞台を楽しめるかどうかの分かれ目でしょうか?
簡素な作りの門片折戸を開けて、内に入る小督と侍女。侍女は背が高いので、屋根にぶつかりはしないかしらなどと思ってしまいましたが、そんなことはもちろんなくて、静かに戸を締めます。私だったら、あんな面をつけていたら、華奢な門ごと押し倒してしまいそうです。すっかりお笑いモードになってしまいますが・・・。

10分休憩の後、仕舞とあってロビーに出ると、皆さん一斉におにぎりなどを食べ始めます。久しぶりの会館なので、ちょっと二階も見学。椅子がこんなにあったかしらん。ランチタイムで、大賑わいです。サンドイッチやお弁当、お茶を準備されている軽食スペースもあって、盛況です。ランチには短すぎる休憩時間ですが、手短に終えて、皆さん席に戻られます。私もおにぎりをほおばるうち、開演のベルが鳴ってしまったので、仕舞「笹の段」を一つロビーのテレビモニターで拝見するはめになりました。二つ目の仕舞「船弁慶」を後ろの方で立ち見、能「夕顔」の前に席に戻る事が出来ました。

源氏物語の夕顔を主題とした能は、この「夕顔」の他に「半蔀」があります。「半蔀」が舞台設定を夕顔の住まい、光源氏が車を止めて、花を所望した場所にしていて、昔を懐かしく回想しつつ舞いを舞うのに対し、「夕顔」は、場所を何某の院(かつて融大臣が住まいしていた河原の院)、夕顔が物の怪に襲われ、息絶えた所にしていて、その非業の死を語り、僧の弔いに救われるという少し重い感じです。
前シテも後シテも片山信吾さん(現5世井上八千代さんのいとこ)です。前シテが、僧に説明をするあたり、動きが扇風機が首を振るような静かさと感じてしまったのは、あまり良い例えではないかもしれませんが、ちょっとそんな連想をしてしまいました。後シテは、登場から美しく、ほぼ正面の席に座っていたので、舞台前方に進み出られた時には、なんとも圧倒される美しさでした。装束の色合いといい、面の美しさといい、エンドルフィン大放出の至福の時を過ごせました。

狂言「杭か人か」単純に楽しめました。仕舞「班女」は、人間国宝の片山幽雪さん(現5世井上八千代さんの父)昭和5年のお生まれ。薪能で観て記憶に新しい演目です。続く仕舞は、息子の九郎右衛門さんによる「阿漕」さすがによく似ていらっしゃる。

ラストは、能「小鍛冶」

夢のお告げを受けた一条天皇の命により、刀匠として名高い三條小鍛冶宗近が、狐の精霊の姿で現れた氏神の稲荷明神の相鎚により、名剣「小狐丸」を打つお話です。
本舞台は野外の舞台と違って、囃子方の音も、床を踏み鳴らす音もよく響きます。前シテの声より、囃子方の勢いの方が強い感じです。後シテの霊狐の登場で、ますます激しく鳴り響きます。以前は白頭を観たような記憶。狐のたてものを付けていて、可愛かったのですが、今回は黒頭。ちょっと重い感じでしょうか。
8-210.jpg
祇園祭「長刀鉾」の上に上げられている長刀も宗近の作とされています。実物は宝物として町内に保存されているようですが。

お土産に、売店で販売されていた能面ぬりえを購入しました。8-202.jpg
ぬり絵をして切り取り、ゴムを付ければ、能面の出来上がり。シテ方ごっこをして遊べます。楽しいかも~。

2013年07月19日

夕顔の帯を描く

日時が前後しますが、7月15日 観世会館において、片山定期能の公演がありました。
京都では、お能は土日の昼間の公演が多いので、夕方からの薪能ばかり観ているこの頃ですが、月曜でも祝日とあって、久しぶりの観世会館での鑑賞となりました。
少し前から、何を着て行こうかしらんと考えて、箪笥をチェックしたのですが、ぴったりくるコーディネートがありませんでした。そこで思いついたのが、自分で描いてしまえ!という訳で、ヤフオクで、グレーがかった水色の無地の絽の帯を560円!でゲットしました。8-204.jpg
能の演目は、「小督」「夕顔」「小鍛冶」ですから、夏帯としては夕顔を描くのが、後の使い勝手もいいかしらと、考えました。8-209.jpg
松原通烏丸西入にある田中直染料店で、顔料にバインダーが配合されているエスカラーという樹脂顔料を購入し、仕立て上がりの帯に手描きです。8-208.jpg
学生の頃、着物地に仕上げの雌しべ、雄しべなどを描くバイトをしていたので、懐かしい匂いがします。8-207.jpg
前帯はすでに着用が明日に迫っていたので、取り敢えず片面だけ。8-206.jpg8-205.jpg
アイロンで固定して、泥縄仕事完成。着物と合わせてみました。8-212.jpg
女面の帯留も合わせて、そこまでするかというほどの完璧さ!?(^^)
源氏物語の夕顔の君のイメージが表現出来たでしょうか?

2013年07月18日

祇園祭 石見神楽

7月16日
宵山の夕刻6時半より、祇園さんの境内 能舞台で、毎年 石見神楽の奉納が行われています。
今年はこちらにスポットをあててみようと、出掛けてみました。8-242.jpg
南の楼門の東側にある能舞台の前には、長椅子が用意され、それを囲むように立ち見の人たちが上演を待ちます。今年は結構涼しい宵山となりましたが、人ごみの中はさすがに暑く、扇子が欠かせない状態です。私の前に一眼を持って陣取ってらした年配の方が、ふら~と倒れかかってこられ、びっくりしました。しばらく座り込んでらした後、上演前に断念して帰って行かれました。救急車の音は聞こえてこなかったので、なんとか神社は出て行かれたのではと思います。8-241.jpg
島根県人会によるこの奉納は、昭和48年から行われているそうです。8-240.jpg
一つ目の演目は、「塩祓」四方を舞い清めて、神さまをお迎えする舞です。
烏帽子・狩衣姿で、御幣と扇を持ち、舞い踊ります。8-239.jpg
8-238.jpg
8-214.jpg

8-237.jpg8-236.jpg
セリフはないのですが、結構動きが大きく、お舞台を動き回るので、体力消耗しそうです。8-235.jpg
続いての演目は「牛若丸」
外人の観客も多いのでと、日本語での解説の後、英語での説明が行われました。英語の説明だけで十分ではありましたが。
8-234.jpg
鞍馬山での牛若と天狗8-233.jpg
8-232.jpg
牛若、天狗と引っ込んだ後、弁慶登場8-231.jpg
なかなか派手ないでたちです。8-230.jpg8-229.jpg
ドライアイスの演出も。8-228.jpg
客席にも冷気を届けてほしいところです。ようよう牛若登場。8-227.jpg8-226.jpg
8-225.jpg
8-224.jpg
参りましたm(_ _)m8-223.jpg
まだまだ演目は続き、フィナーレは祇園さんの神様である須佐之男命と大蛇の戦いなのですが、遅くなってしまうので、これまでとしました。ハードな動きと派手な姿が印象的な舞台でした。
舞殿には三基の神輿が。8-222.jpg
8-221.jpg
暮れゆく祇園さんを後にしました。8-220.jpg
阪急電車を利用して、高倉までやってきました。

長刀鉾8-219.jpg

8-218.jpg

四条通は人通りは多いのですが、連休明けのせいか、足早に歩ける程度です。8-217.jpg
8-216.jpg
西洞院通 蟷螂山8-215.jpg
ここまでやってきたのは、近頃めっきり減ってしまったベビーカステラ屋さんが確か去年はここに出店されていたはず・・・。行列してゲット、つまみながら帰路に着きました。

2013年07月10日

天龍寺 蓮

7月7日 天龍寺の蓮を、撮りました。8-255.jpg8-254.jpg8-253.jpg
何やら、真下で、ぱしゃぱしゃ音がすると思ったら、鯉たちが、何か頂戴~。といった感じで集まって来ていました。ごめんね。なにも持ってないのよね~。8-256.jpg8-252.jpg8-251.jpg
8-250.jpg
8-249.jpg
8-248.jpg
8-247.jpg
帽子持参で来ましたが、午前中でも汗が噴き出してくるのが分かります。皆さんちょっと撮ると引き上げられるようで、池を一周して粘っているのは私ぐらいでした。熱中症になりやすいタイプかも?8-246.jpg
8-245.jpg
8-244.jpg
8-243.jpg
なんとも美しい花ですね。

2013年07月03日

御戸代会神事薪能

7月1日 上賀茂神社で、御戸代会神事薪能が催されました。8-263.jpg

毎年、7月1日に行われているこの能は、奈良時代 孝謙天皇の御代(750年)に起源を持っている長い歴史のある行事であるそうです。8-262.jpg

第42回式年遷宮にあたり、重要文化財・細殿(ほそどの)のお屋根が無事 に葺き替えらた事を記念して、それまで庁ノ舎で行われていた能を、平成23年より細殿において、薪能として開催されるようになったそうです。過去2回は、賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)がお喜びのあまり、雨をお降らせになったそうですが、今年は大神も落ち着かれたご様子にて、絶好の天気となったとの、宮司さんのご挨拶でした。8-261.jpg
8-257.jpg
神事という事で、最初の素謡は、神歌です。その後、仕舞「鶴亀」「羽衣」と進み、火入式。かがり火が両サイドに焚かれます。狂言「魚説教」のあと、能は「安達原」観世流です。(他の流派では、「黒塚」といいます)

熊野の山伏が東北の安達原で、宿を借ります。女主人は夜すがら、麻糸を糸繰り車で巻き取って紡ぎ、その侘しい暮らしぶりを嘆きます。そして、あまりに寒いので、山へ行って薪を採ってきましょうと言って出掛けようとしますが、留守の間、くれぐれも私の寝室をご覧にならないようにと念を押して出掛けます。覗くなと云われれば、よけい気になるもの。山伏の従者が、不審に思い、中を覗くとそこには、人間の死体が山と積み上げられています。山伏も驚き、これは鬼の棲家かと気付き、逃げ出します。これに気付いた鬼が追いかけてきて、恨みを言い、襲い掛かります。山伏たちはその法力で、必死に戦います。やがて、鬼は力を弱め、闇にまぎれて消え失せます。8-260.jpg

500人ぐらいの観客で、この季節にしては、着物姿が多いようです。私も安達原に合わせた装いにしてみました。8-265.jpg
単衣の小地谷紬に糸巻きを刺し子でデザインした帯、手持ちの般若の根付に金具を貼り付けて、帯留に作り替えました。8-264.jpg
鬘帯(女役の鬘の上から巻いて後ろで結び、長く垂らす帯)風の帯締めに通してみました。これで、気分だけは、シテ方です(^^)8-259.jpg

(写真右端のライトは上演中は点いていません。帰り道を照らすために終演後に点けられたものです。)
細殿の天井などに、明かりが灯されている他は、薪の明かりなどの中での上演とあって、次第にあたりも暗くなり、建物の柱も多いので、本当に山中の一軒家を見ているようです。
糸繰りをする年配の女性は、上からの光で、ますます頬がこけ、一層やつれた風に見えます。薪を採りにと橋掛かりまで進んだ後、静かにゆっくりと振り返ります。そこで、ためて、ためて、しっかりためて、すくっと、元に直り、立ち去ります。情念がどわ~と・・・といった感じで、妖しい気配が漂い、結構怖い瞬間です。

わき方の阿闍梨祐慶は、また原 大さんです。寝室を見たいという従者を諌め、早く微睡めと言って、自分も扇をかざして、微睡みます。8-258.jpg

逃げ出す山伏に気付いた鬼女が、打って変った姿で、揚幕からふいっと姿を現し、すぐ引っ込みます。そして、再び急ぎ出てきます。
「いかにあれなる客僧 止まれとこそ、」背に唐織を巻いた柴を背負っているのが、なにやら悲しくもあります。途中で立ち止まって、その柴をかなぐり捨て、舞台に入ります。打ち杖を振り上げて、襲い掛かる鬼女に、数珠を揉み続け、呪文を唱える山伏。激しい闘いが繰り広げられます。
(きゃー、原さん 頑張って~!)とは、私の内なる声です。決して口には出していません・・・。

やがて、弱り果てた鬼女はよろよろと、浅ましや、恥ずかしの我が姿やと、言う声だけはまだ凄しさを残しつつも、夜嵐の音に紛れて、消え失せたのでした。
でもって、鬼女が立ち去るところで、思わずよかったよかったと拍手したい気持ちに駆られるのですが、ここは、しばし我慢です。ちょっと気を静めてとお舞台に目を向けると、そこにはまだ鬼女が立ち去ったあとの余韻が、見送る山伏たちの姿があります。危うく難を逃れた山伏たちは、静かにその場を離れ、次の宿が見つかるものかどうか、闇の中、旅は続いてゆきます。 拍手、拍手。

鬼女は、閨を見られなかったならば、持ち帰った薪を焚いて、何事もなく、山伏たちを送り出したのか、それとも、閨を見るように仕向け、始めから捕って食う腹積もりだったのか?どんな人生を送って、終には鬼と化したのか?はたまた最初から鬼として生まれ、糸繰りなどして見せたのは、欺くための偽りなのか?くるくる回る糸繰り車は輪廻転生を現しているようであり、鬼女がまた人食いを繰り返す予兆のようでもあり。約束を破られる毎に、怒りと悲しみが繰り返し訪れ、どうにも制御できない感情を増幅させてゆくのか?姿を消した鬼女はまたしばらくすると、回復して、また糸繰りをし始めるのか?どんどん考え出すと止まらない感じです。

それにしても、高い木々に囲まれた境内の中、どんどん暗く背景が沈んでゆき、薄明りに浮かび上るお舞台は、幽玄そのものです。演目が演目だけに、能特有の少ない舞台設営にもかかわらず、リアリティがあり、脳裏に焼き付いた舞台となりました。

2013年07月02日

鹿王院 沙羅の木

6月24日 沙羅の木があるという事で、嵯峨の鹿王院を訪れました。8-281.jpg
足利義満筆の「覚雄山」の扁額です。

8-266.jpg
8-280.jpg
参道が、長くてとても素敵です。ドラマ「鴨、京都へ行く」で、鴨が園田夫妻を案内していました。8-267.jpg
8-279.jpg8-268.jpg
広い敷地にゆったりした静かなお庭です。お手入れも大変でしょうね。8-269.jpg
舎利殿 源実朝が宋から招来した仏牙舎利が安置されている多宝塔があります。

8-270.jpg
沙羅の木はというと、お庭の奥まったところにありました。8-278.jpg
とても背の高い木です。8-276.jpg8-275.jpg
蕾も多いようなので、まだまだ見頃が続きそうです。8-277.jpg
客殿へ戻る渡り廊下脇の庭にも若い沙羅の木がありました。こちらは近くなので、アップで撮れました。
8-274.jpg

8-273.jpg
8-272.jpg8-271.jpg