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2012年10月30日

白峯神宮 観月祭

白峯神宮の観月祭(献灯講祭)が10月27日に執り行われました。7-547.jpg

十五夜の月見は、台風で逃してしまいましたので、十三夜のお月見であるこちらの観月祭を楽しみにしていました。取り急ぎ野菊の着物に着替え、出掛けました。7-538.jpg7-545.jpg
崇徳院に百首歌奉りけるに

秋風に たなびく雲の 絶え間より
     もれ出づる月の 影のさやけさ

                 左京大夫顕輔

(久安6年に崇徳院の命により作成した久安百首では、第二句が「ただよふ雲の」となっていますが、後の新古今集や、小倉百人一首では、たなびくとなっているようです。)
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時折、姿を現す月明かりと揺らめく灯火の中、式典が静かに始まりました。7-544.jpg
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御祭神の崇徳天皇は、管絃と和歌の名手といわれ、望月の旧の中秋に行われた観月の催しでは和歌を詠んで管絃の宴を催され、月を愛でられたという事で、式典の後、毎年趣を変えて管弦が奉納されているようです。7-542.jpg
今年はこちらで教室をされている原彰宏さんによる篠笛の演奏でした。7-541.jpg
獅子舞もにぎやかに7-540.jpg7-539.jpg
観月祭も終わりに近づいた頃、笛の音に雲が払われたのか、月が冴えわたってきて、なんとも美しく、崇徳院に御礼を申し上げて帰路に着きました。

見る人に 物のあはれを しらすれば 
       月やこの世の 鏡なるらむ

                      崇徳院

皆が帰って静まった境内で、座敷に座り、月を眺めてらっしゃるのではないかしらんと想像してみました。
ねこづらどきのなおくんも行かれたようなのですが、気付かず残念でした。

2012年10月28日

2012 時代祭 その6 吉野時代 中世婦人列

吉野時代 楠公上洛列に続くのは中世婦人列です。
大原女
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桂女7-572.jpg
これよりは祇園東お茶屋組合の方々です。
淀君御一行7-571.jpg
淀君7-570.jpg
侍女7-569.jpg
藤原為家の室7-568.jpg
出家後「阿仏尼(あぶつに)」と称されています。相続問題を幕府に訴訟するため、鎌倉へ下った際の道中のスタイルです。このときの紀行と鎌倉滞在のことを記した日記が、後に「十六夜日記」と呼ばれるようになりました。
参照
http://www.zuzu.bz/ownerblog/2009/10/post_345.html
静御前と童女7-567.jpg
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2012年10月27日

2012 時代祭 その5 吉野時代 楠公上洛列

吉野時代7-580.jpg
ほら貝が鳴り響き、楠公上洛列の登場です。7-579.jpg
菊水紋旗旗差 楠木正成は、建武の新政に対しての功により天皇から菊紋を下賜されましたが、畏れ多いとして、半分を水に流した菊水紋にしたという事です。 7-574.jpg
錦旗旗差 7-578.jpg
楠木正成7-577.jpg
楠木正季(くすのきまさすえ)7-576.jpg
侍大将7-575.jpg


2012年10月26日

2012 時代祭 その4 安土桃山時代 室町時代

安土桃山時代 豊公参朝列 豊臣家が朝廷へ参上した時の様子で、公家風と武家風が入り混じった行列になっているのが特徴です。
騎馬の人物は大名 前田玄以です。7-620.jpg
大名 石田三成7-619.jpg
大名 浅野長政 馬がどっか他へ行きたがっているみたい。7-618.jpg
牛車7-617.jpg
飼糧桶に替牛7-616.jpg
牽馬7-615.jpg
大名 増田長盛 大名 長束正家7-614.jpg
織田公上洛列7-613.jpg
立入宗継7-612.jpg
千成瓢箪7-611.jpg
羽柴秀吉7-610.jpg
丹羽長秀(にわながひで) 可愛い兜ですね。7-609.jpg
大金瓢箪7-608.jpg
織田信長7-607.jpg
滝川一益(たきがわかずます)7-606.jpg
なにやら、馬の機嫌がかなり悪い様子7-605.jpg
踏ん張りましたが・・・7-604.jpg
落馬!7-603.jpg
大事には至らなかったようで、なによりです。馬を宥めて、もう一度7-602.jpg
思わず拍手が起こるも、慌てて「しー、しー」と世話係の人たちから声が掛かり、皆、しーんと静まり、馬の機嫌を伺います。7-601.jpg
柴田勝家 こちらの兜もおもしろいですね。反射してまぶしい感じですが。7-600.jpg

室町時代
室町幕府執政列7-599.jpg
御供衆 政所執事 伊勢氏7-598.jpg
足利将軍 鎧兜はつけず、烏帽子に金襴の豪華な衣装です。7-597.jpg
童菊7-596.jpg
鎧櫃に公家・法中・御医師・御博士・と続きます。7-595.jpg
御供衆 菅領 細川氏7-594.jpg
御供衆 侍所所司 山名氏7-593.jpg
御供衆 評定衆 二階堂氏7-592.jpg
室町洛中風俗列7-591.jpg7-590.jpg
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「風流踊り」16世紀京の町衆によって盛んに催されたという踊りを再現しています。7-586.jpg
初めて見る事が出来ました。7-585.jpg7-584.jpg
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2012年10月25日

2012 時代祭 その3 江戸時代

江戸時代7-638.jpg
徳川城使上洛列
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槍持、傘持、挾箱持などが掛け声をかけて、パフォーマンスを繰り広げます。7-636.jpg7-635.jpg7-634.jpg
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江戸時代婦人列 京都市地域女性連合会の面々が務めます。
先頭の現代和服姿は会長の西脇悦子さん。そして、台車に乗って和宮の登場です。7-630.jpg
大田垣蓮月(おおたがきれんげつ)女流歌人で、後に尼となりますが、若きの日の姿での登場です。7-629.jpg7-628.jpg
大田垣蓮月に関しては、こちらを参照してください。http://www.zuzu.bz/ownerblog/2009/02/1.html

玉瀾(ぎょくらん)
画家池大雅の妻。画人で和歌にも秀でていました。7-627.jpg
参照
http://www.zuzu.bz/ownerblog/2009/10/post_348.html


中村内蔵助の妻(なかむらくらのすけのつま)
衣装比べの際、自身は白無垢に最上級の黒羽二重の打掛けという際立った姿で登場。侍女たちには豪華絢爛な衣装をまとわせて付き従わせて、人目を惹いたという事です。7-626.jpg
腰元7-625.jpg

梶(かじ)
玉瀾の祖母で、祇園に水茶屋を営んでいました。女流歌人で歌集「梶の葉」を編みました。7-624.jpg7-623.jpg
参照
http://www.zuzu.bz/ownerblog/2009/10/post_346.html

吉野太夫(よしのたゆう)7-622.jpg
出雲阿国(いずものおくに)7-621.jpg
この婦人列はカツラではなく地髪の結い上げ姿です。南 登美子先生を始めとする祇園界隈の美容室の方が担当されています。

2012 時代祭 その2 明治維新時代

いよいよ行列の始まりです。7-671.jpg
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まずは、鼓笛隊による演奏が行在所前で行われました。7-669.jpg
名誉奉行の京都市会副議長・京都府会副議長の馬車7-668.jpg
同じく名誉奉行 京都市議長・京都府議長7-667.jpg
最後の馬車は京都市長と京都府知事です。7-666.jpg

先導の御嬢さん方が、その横を通って、配置につきました。7-665.jpg7-664.jpg

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時代祭旗と総奉行です。
そして、明治維新時代から、時代は遡ってゆきます。7-662.jpg7-661.jpg7-660.jpg
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維新勤王隊列のピーヒャーラドンドン イコール時代祭といったところかしらん。7-658.jpg7-657.jpg
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幕末志士列 桂小五郎・西郷吉之助・坂本龍馬・中岡慎太郎・高杉晋作と続きます。7-654.jpg
桂小五郎 ちょっとイメージ違うけど・・・。7-653.jpg

坂本龍馬 目線をありがとうございます。7-652.jpg
中岡慎太郎7-651.jpg
高杉晋作 流し目頂きましたが、三味線着流しでお願いしたい感じ7-650.jpg
七卿落7-649.jpg
1863年(文久3)の八月十八日の政変で、倒幕計画に破れた七人の公卿が京都から追放された事件で、蓑をまとった七卿が、鎧姿の真木和泉ら志士に護られながら長州に落ち延びた様子を表しています。
具足に兜姿が凛々しい志士 真木和泉とまぶしそうな久坂玄瑞7-649a.jpg
公卿 三條実美(さんじょうさねとみ)7-648.jpg
公卿 三條西季知(さんじょうにしすえとも)7-647.jpg

公卿 東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)7-646.jpg

公卿 壬生基修(みぶもとおさ)7-645.jpg

公卿 四条隆謌(しじょうたかうた)と 公卿 錦小路頼徳(にしきこうじよりのり)7-644.jpg

公卿 澤宣嘉(さわのぶよし)7-643.jpg
七卿をどんな思いで落ち延びて行かれたかなどと眺めているうちに、ちょっと志士列 吉村寅太郎(よしむらとらたろう)と頼三樹三郎(らいみきさぶろう)を撮りそびれてしまいました。左前方より梅田雲浜(うめだうんびん)・橋本左内(はしもとさない)・吉田松陰(よしだしょういん)7-642.jpg
近衛忠熈・姉小路公知(あねがこうじきんとも) (このえただひろ)7-641.jpg
三條実萬(さんじょうさねつむ)・中山忠能(なかやまただやす)・平野国臣(ひらのくにおみ)7-640.jpg

友人の撮った写真によると、こんな感じで撮ってるみたいです。7-639.jpg
次回、江戸時代に続く

2012年10月23日

2012 時代祭 その1 行列の始まるまで

10月22日 月曜日 雲一つない快晴の中、時代祭が執り行われました。知り合いがお当番にあたっていて、関係者席の入場券を頂いたので、着物を着て気合を入れて出かけました(^^)雅な感じの名古屋帯を締めてみました。7-685.jpg
御苑内で見るのは初めての事で、関係者席は座席に限りがあるという話ですから、早く行かねばと10時に堺町門に着きました。7-684.jpg
続々と行列の支度を終えた参加者が集まってくるところでした。維新勤王隊列は演奏しながら堺町門に入って行き、早くから陣取ってらしたカメラマンが一斉に写真を撮っているのを尻目に取り敢えず、場所確保。神幸列も平安神宮より到着です。7-683.jpg
有料観覧席はすべて座席指定のパイプ椅子ですが、神宮講社席は前の方は、敷物が敷かれていて、後ろは長椅子というフリーな感じになっていました。友人たちは所要時間も長いので長椅子に陣取り、私は一人で最前列の敷物が敷かれた上にさらに敷物を引いて座り込みです。砂利の触感が伝わってきます。二時間座っていられるかしらん?7-674.jpg
建礼門前在所に桓武天皇と孝明天皇のご神霊をうつされた2基のご鳳輦が安置されました。7-682.jpg
10時半より、行在所祭です。7-681.jpg
崇敬者と市民代表が参列して、神饌公社より神饌が献じられ、白川女の献花奉仕が行われるというものです。7-680.jpg7-679.jpg
御苑内では、各列ごとにスタンバイする場所が決められていて、準備やランチ、記念撮影や休憩などそれぞれに時間待ち中です。7-678.jpg7-677.jpg7-676.jpg

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私も座席に戻り、12時の出発を待ちます。次回に続く

2012年10月19日

泉涌寺 舎利殿

10月13日~28日まで、御寺 泉涌寺にて12年に一度の特別公開「舎利殿特別御開帳並びに鳴龍体験」と題して、舎利殿が公開されています。7-690.jpg

こちらは、佛舎利を欲しかった足疾鬼(そくしっき)の執心であると言う男が舎利を奪って虚空に飛び去ろうとするところに、韋駄天が現れ、足疾鬼を追いつめ佛舎利を取り返すという能の演目「舎利」の舞台として興味深いものがあり、急ぎ行ってきました。
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本尊:『仏牙舎利』の向かって左側に脇佛 月蓋長者像、右側に韋駄天像が安置されていました。今も韋駄天が守っているのですね。
天井を蹴破って虚空に飛び去る足疾鬼を思い描いて、天井を見上げるとそこには、狩野山雪作の『蟠龍図』がありました。佛舎利を盗まれないよう見張っているのかしらんと思っていた坊さんが、「こちらに立って手を叩いてください。」と足元の印しを指さされました。「鳴龍」体験の説明のために立ってらしたのですね。7-686.jpg
相国寺では、何度か試してみたけれど反響音がよくわからなかったのですが、こちらではばっちり聞く事ができました。

2012年10月12日

「西陣くらしの美術館」冨田屋さん見学

9月9日は重陽の節句でしたので、今年も菊の花びらを浮かべたお酒と料理で楽しみましたが、営業日の為、京都の行事には参加できず、残念でした。7-710.jpg
大宮通一条上ルにある「西陣くらしの美術館」冨田屋さんでは、9月9日から10月9日まで、重陽の節句と題して、見学会を催されていたので、菊慈童の絵柄の着物を着て出掛けてみました。7-691.jpg
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「国の登録有形文化財の指定を受けたのを機に「西陣くらしの美術館」として公開をされいるこちらは、日々生活をしてらっしゃる町屋です。7-708.jpg
伏見で両替商を営んでいた冨田屋さんが、鳥羽伏見の戦いで焼け出され、西陣に移り住み、呉服商を営むようになり明治十八年にこちらを建てられたそうで、現在の当主で十三代目という事です。7-704.jpg7-707.jpg7-706.jpg
細部が凝った造りになっています。7-702.jpg

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日常使いの井戸と神様専用の井戸があり、多くの神様を祀ってらっしゃるこちらでは毎朝、家中の神さんごとから一日が始まるといった代々受け継いできた風習やしきたりを守って生活してらっしゃるそうです。7-701.jpg
お倉が二つあり、こちらの奥のお倉は神様のお住まいだそうです。漆塗りの扉の前には、「被綿(きせわた)」をした菊が生けられていました。7-700.jpg
重陽の節句の前日に菊の花に綿をかぶせ、菊の香りのする露を含んだ綿で肌を撫でて身を清めたりします。邪気を祓い長生きする効能が菊にはあると古来より信じられてきたゆえの習わしでしょうね。
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奥の座敷で、参加された方々と、楽しくおしゃべりなどしながら、菊の節句にちなんだ、手作りのお料理を頂きました。7-698.jpg
年代を感じさせる調度類に囲まれての、心のこもった食事は終始和めるひとときでした。7-697.jpg7-696.jpg
最後にお菓子とお抹茶をよばれたのち、お茶室見学。7-693.jpg
凝った造りのお茶室でしたが、もっとも目に留まったのが、こちらのトユです。銅で出来ているそうですが、竹を模したデザインが施されていました。7-694.jpg
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お仏壇では、小坊主さんがうたた寝中でした。7-692.jpg
もちろん、打ち鳴らすための木魚は別に置かれていて、安心しました(^^)
生活されている町屋の温かみが感じられる見学会でした。

2012年10月03日

お月見

9月30日 観月祭に出掛けるはずが、台風のため、中止になってしまい、残念無念といった近頃ですが、10月27日の十三夜は是非美しい月見がしたいなと、崇徳院にお参りにいこうかと考えているところです。
写真は9月28日のものです。7-711.jpg