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2012年07月11日

千本釈迦堂の陶器市

7/9~/12まで千本釈迦堂で、陶器市が行われています。7-876.jpg
10日には陶器に感謝する法要が行われたようです。
初日にちらっと見てきました。梅雨の晴れ間で、暑い中でしたので、人出はまばら、静かな境内でした。
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五条坂と違い、店舗数は10軒ほどの小規模なものです。7-873.jpg
国宝の本堂は1227年、藤原秀衡の孫にあたる義空上人によって創建された時のままで、京洛最古の古建築です。7-874.jpg
本堂が開いていたので、中に入ってみましたが、ご本尊の扉は閉ざされていました。応仁の乱の際の刀や弓矢の傷跡が柱にしっかり残っています。この地は西軍の陣地でしたが、山名宗全の特別のはからいで、この本堂が残されたと伝わっているそうです。
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義空上人は、藤原秀衡の孫という話ですから、当然その間に父がいる訳ですが、誰かと調べてみると父は藤原忠明(秀衡息)という人でした。ちょっとこの忠明という人のデータが見つからないので、よくわからないのですが、承安二年(1172)に出羽国千福里で上人は誕生しているようです。文治二年(1186)、15歳の時に鎌倉の月輪房阿舎利の童子役となり、19歳で剃髪して比叡山で澄憲(ちょうけん)上人に師事し、10余年の後に千本の地を得て仮堂を建て釈迦如来像を祀ったのが、貞応2年(1223)となっています。
1172年というと、清盛の娘 徳子が中宮になった年です。1174年には義経が鞍馬を出て、奥州に向かっています。1185年に平家が滅亡し、鎌倉の頼朝が、秀衡に書状を送り、牽制し始めています。その翌年に義空は鎌倉にいたようですね。1187年、秀衡は義経を匿うも、病に倒れています。1189年には奥州合戦によって、奥州藤原氏は滅んでいます。その翌年、義空は鎌倉から比叡山に移っている事になりますね。
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