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2012年05月27日

白峯神宮と伴緒社

堀川今出川東入るにある白峯神宮は、崇徳天皇を祀る神宮です。
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孝明天皇は、保元の乱によって悲運の運命を辿られた崇徳天皇の御霊を慰め、国難に際し、ご加護を祈ろうとされ、幕府に御下命になって四国・坂出の「白峰山陵」から京都にお迎えして、これを祀らうとされましたが叶わぬままに崩御されました。
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父帝の御遺志を継承された明治天皇が、宮地を和歌・蹴鞠の公卿宗家「飛鳥井家」の邸地に求められて、慶応4年(明治元年)9月6日社殿を現在地に新造され、崇徳院の御霊を奉迎鎮座されました。
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続いて明治6年に47代淳仁天皇の御神霊を淡路島南端の御陵からお移しして、御併祀になりました。

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保元の乱の際、御味方した源為義・鎮西八郎為朝公を祀る「伴緒社」が本殿に向かって右にあります。7-975.jpg7-974.jpg

源為義の八男である源為朝は、西方を鎮めるという名目で、九州で大暴れをして、鎮西八郎為朝と称していました。弓の名手で、保元の乱で大活躍したとの事ですが、大軍に押され、白河北殿に火を放たれた事から、わずか4時間ばかりで、敗走することになります。
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源為義は、後白河天皇側についていた長男 義朝によって斬首されてしまいます。勅命とはいえ、直接父を殺さねばならなかった義朝の心中は、いかばかりであったかと想われます。為朝は武勇を惜しまれて、伊豆大島に流刑となりました。為朝はその後、琉球王家の祖になったという伝説があります。7-972.jpg
こちらの社は武芸、弓に秀でた為義・為朝親子を祀ることから、武道・弓道上達にご利益があります。7-971.jpg
11月15日には、「伴緒社」祭があり、愛弓会奉仕の「奉射式」と演武が行われます。7-970.jpg
本殿前では、含笑花(ガンシュウゲ)の花が咲いていて、とても芳しい甘い香りを放っていました。7-969.jpg
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