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2012年05月20日

媞子内親王火葬塚

白河天皇と仲睦ましかった中宮 藤原賢子の間に生まれた第1皇女に、媞子内親王(ていし(やすこ)ないしんのう)という方がいらっしゃいます。堀河天皇の同母姉にあたります。
わずか3歳で斎宮に卜定、伊勢に下向していらっしゃいましたが、母后賢子が若くして崩御された事により、在任6年で退下し帰京されました。
最愛の中宮を亡くされた白河天皇は、亡骸を抱いて号泣され、お嘆きは並大抵ではなかったとのことです。1086年、わずか8歳の善仁親王(たるひとしんのう))に皇位を譲り、上皇となって、院政を開始されました。

再会した娘 媞子内親王は、母に似て見目麗しく、白河上皇は、ことのほか大切にされていました。回りの反対意見にも耳を貸さず、弟にあたる堀川天皇の后に立てられ、後には女院号を宣下、郁芳門院とされました。
病がちであった内親王が21歳の若さで亡くなられ、白河上皇は、その2日後に出家されています。最愛の妻と娘を早くに亡くされた上皇のお気持ちはどんなであったかと思われますが、その後、多くの女性を囲われるようになってゆき、後の歴史的トラブルを招く要因となります。

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媞子内親王も火葬されたようで、船岡山の北にその火葬塚があります。北大路通南側、建勲神社北参道の東、少し奥まったところです。
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