2012年05月16日
大田神社 杜若 その2
5月14日 大田神社 杜若のつづきです
後白河上皇の院政期、信西と対立していた藤原信頼に近づき、信西打倒に関与した源 師仲(みなもと の もろなか)は、平治の乱の後、永暦元年(1160年)3月31日に下野国に配流となりました。この際、配所に赴く途上で詠んだ歌が、後に勅撰集『千載和歌集』に収録されました。
三河の八橋※を渡るとて、
夢にだに かくて三河の 八はしを
わたるべしとは 思はざりしを
と詠んだのが後白河院の耳に入り、哀におぼしめされ、めし返せと仰せになったと、平治物語 巻之三に書かれています。仁安元年(1166年)に赦され、3月29日に帰洛していますが、その後 官職に就く事はなかったようです。
※ 愛知県知立市北東部 「伊勢物語」東下りの段に登場するカキツバタの名所。
保安元年には、鳥羽天皇も本宮に行幸されたという事が古書に記載されているそうです。平安時代に思いをはせ、眺めるのも良いものです。
ふりにけり 誰かみぎりの かきつばた
汝なれのみ 春の色ふかくして
藤原定家
紫の 色にぞにほふ かきつばた
ゆかりの池も なつかしきまで
慈円
江戸期に描かれた 『都名所図会』には、「堂の傍らに池ありて、春の末より初夏に至り杜若咲き乱れて、濃むらさきの色、池の面に麗しく、京師の騒客、廻りの茶店に宴を催して、終日これを美賞す」と記されていたほど、三十三間堂が杜若の名所として有名であったようです。後白河上皇の頃はどうだったのでしょうか。大きな池が南側にあったので、咲いていたかもしれませんね~。
- by zuzu
- at 18:01
comments
杜若を綺麗に撮られましたね。
見事です。
ここは5日に行ったのですが、まだ咲き始めたばかりでした。
その後順調に咲き続けていたのですね。
一番良い時に見たかったなあ。
ありがとうございます。
なおくんに褒められると、うれしいです。
去年より少しでも上手に撮れたらいいな~とか思ってます。
今年は、咲き始めるのが遅かったですよね。
7日に回れなかったので、2番花が多くなりましたが、群生している感じが見れたのは良かったです。