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2012年03月27日

長徳寺のおかめ桜2

3月26日 出町の長徳寺にまた出向きました。6-578.jpg
一週間経って、いい感じに開きました。6-577.jpg
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めじろも、大忙しに動き回っています。6-573.jpg

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大きな望遠レンズを付けた男の人たちでも賑わっていました。6-569.jpg
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2012年03月24日

御苑の梅園と猫

3月19日また、御苑に立ち寄りました。一週間前、見頃だった出水口あたりの梅が下火になり、梅園ではぱらぱら咲いていたり、つぼみだったり、終わっりかけだったりと、華やかさに欠ける感じではあります。6-583.jpg6-582.jpg6-581.jpg
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以前にも見かけた事のある猫が、モデルになってくれました。飼い主さんが梅の木に乗っけてくれました。よく慣らされた猫で、おとなしくポーズをとってくれます。6-588.jpg
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2012年03月23日

智恵光院・地福寺・祐正寺の枝垂れ梅

3月19日 
智恵光院通一条上るにある智恵光院の枝垂れ梅は、やや盛りを過ぎていました。6-597.jpg6-596.jpg
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七本松通新出水角の地福寺の梅も、外に垂れ下がっていてかわいいらしい感じです。6-592.jpg
下立売通七本松東入ルの祐正寺の枝垂れ梅も満開です。いつもは静かな境内ですが、この日はお彼岸のお墓参りの方々の出入りが多かったです。6-591.jpg
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2012年03月21日

北野天神さんの梅

3月12日の北野天神さんの梅です。
夕刻に立ち寄りました。6-607.jpg

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またも、みぞれに見舞われ、退散です。

2012年03月19日

長徳寺のおかめ桜

3月19日 出町柳の長徳寺に立ち寄りました。門前のおかめ桜の様子を見るためです。6-608.jpg
昨年は3月22日に来ていますが、満開でしたから、ちょっと遅いようですね。
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開花宣言!

2012年03月17日

御苑の梅

3月12日 朝から、積もるでもない雪が降ったり、止んだり、青空になったかと思うと、俄かに掻き曇り・・・。御苑にやってきたのは、昼過ぎでした。入ったとたんにみぞれに見舞われてしまいました。しばらくすると、青空に。6-627.jpg

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今度は霰になってきました。6-621.jpg6-620.jpg6-619.jpg6-618.jpg6-617.jpg
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2012年03月15日

冬の高桐院

3月12日 大徳寺の高桐院に立ち寄りました。
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忠興とガラシャ夫人の墓塔6-633.jpg
お隣の細川家歴代の墓6-632.jpg
囲いの中、右手前角に雪中花という椿の木が植えられています。背が高くて上の方にしか花が付かないので、分かりづらいですが、早咲きの椿で有名です。6-635.jpg
今年は開花が遅れたそうですが、さすがに終わってる感じでしょうか。6-634.jpg

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2012年03月09日

第46回京の冬の旅 妙心寺 玉鳳院

妙心寺は、花園上皇が離宮を造営されて、萩原殿と称されていたものを、禅寺に改められたものです。
塔頭である玉鳳院は、花園法皇が妙心寺開創の頃に伽藍の傍らに建てて潜居されたところです。ここから関山慧玄に参禅されました。6-639.jpg
法皇縁の由緒ある建物として「玉鳳禅宮」とも呼ばれています。

美濃の山中より招かれた開山である関山慧玄(かんざんえげん)の寂後、開山廟 微笑庵(みしょうあん)を営まれました。6-636.jpg
方丈では、狩野益信、永真筆の襖絵を観る事ができます。廊下からの拝観で、龍図を正面から観られないのは残念なところです。
唐門6-637.jpg
奥の開山堂には、関山慧玄の木像が安置され、絶えず香が焚かれています。その前方には「妙心寺型」と称される石灯籠があります。さらに前方には、平唐門。室町時代 応永十六年(1409)に後小松天皇より御所の門を賜って移築したもので門扉に、応仁の乱の矢傷が残っています。6-638.jpg
「風水泉」と呼ばれる井戸が、歩廊の北側にあります。この場所で関山慧玄が、二世の授翁宗弼(じゅおうそうひつ)に後事を託して入寂したと伝わります。その北側には、秀吉の長男鶴松木像が安置された廟があります。東北の隅には、武田信玄・勝頼・信勝・信豊の供養塔と織田信長・信忠の供養等が並んでいます。開山堂を一回りしてそれらを観て回るのですが、堂の柱がかなりシロアリにやられているのが目につきました。すでに薬剤が仕込まれて処理されているのでしょうが、痛々しい感じでした。