2011年02月25日
智積院の梅
2月21日 東山七条の智積院に立ち寄りました。
今日は、ぽかぽか陽気です。
結構、咲いている梅が多いようです。
ジョウビタキの雌を、枝の陰に見つけ、静かに横に回り込みます。
眼が合ってしまったような・・・。
一瞬考えた風しぐさの後、飛び去られてしまいました(^^)
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- by zuzu
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- in 008京都 洛東
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2011年02月25日
2月21日 東山七条の智積院に立ち寄りました。
今日は、ぽかぽか陽気です。
結構、咲いている梅が多いようです。
ジョウビタキの雌を、枝の陰に見つけ、静かに横に回り込みます。
眼が合ってしまったような・・・。
一瞬考えた風しぐさの後、飛び去られてしまいました(^^)
2011年02月23日
2月21日 バスを待つ間に、水火天満宮の梅を撮りました。
入口の薄桃色の梅はまだこれからといったところです。
白梅は満開ですが、向かいの紅梅はまだこれからです。日の当たり具合が違うせいでしょうかしらん。
2011年02月17日
このところ、京都観光する暇がなく、また自宅ネタです。
蜂が鉢の周りをうろうろ。受粉に貢献してくれています。
2011年02月15日
お祝い事モードの我が家の掛け軸です。
2011年02月13日
うちの梅も随分、開きました。
うぐいすも、交通量の多さから、鳴き続けです。
こちらが、柱の陰に取り付けたセンサーです。雨よけ付きです。
2011年02月11日
上京区浄福寺東入る大黒町に、岩上神社という小さな祠と鳥居があり、通称 岩上さんと呼ばれています。雨宝院の西側です。
二条堀川付近にあった霊石が六角通(岩上通六角辺り)に遷され、更に中和門院(後陽成天皇の女御の一人で後水尾天皇の母)の屋敷の池の畔に遷されると怪異な現象が起きたという。吼え出したり、すすり泣いたり、子供に化けたり、の類である。子供に化けたという伝説に因んで「禿童(かむろ)石」と呼ばれたこともあったという。 持て余した女官たちが遂にたまりかねて蓮乗院という真言宗の僧を召したところ、彼はその石を貰い受け、現在地に遷して祀ったという。その際に「有乳(うにゅう)山 岩上寺」と称した。以降、授乳、子育 の信仰を集め、地元では「岩上さん」と親しみを込めて呼ばれている。 寺は享保(きょうほう)十五年(一七三〇)の大火事「西陣焼け」で堂舎が焼かれ、天明八年(一七八八)の「天明の大火」では荒廃の極みに達した。 明治維新の際には廃寺となったが、大正年間に織物業の千切屋が敷地内に祠を構え、以降「岩上神社(岩上祠)」となって今に至る。数奇な運命を経た霊石だけは昔の姿そのままで現在に伝わる。
上記のように説明書きが、添えられています。
街並みに合わせて綺麗に整備され、通りになじんで鎮座されています。
2011年02月09日
1月31日
梅園の梅はまだまだこれからといった感じでした。
一部、ちらっと咲いていました。
2011年02月06日
同志社前から、丸太町の方へと、御苑を散策しました。
冬の桜はその枝振りを観察するのに、とてもいいシーズンですね。
木々の枝振りがとても気になりました。
自転車道
次回に続く
2011年02月03日
2011年02月01日
高島屋で開催されていた『平城遷都1300年 光明皇后1250年御遠忌 東大寺本坊襖絵完成記念 小泉淳作展』(1/6~24)を観ました。
建仁寺の龍を描いた人で、今回は東大寺本坊の襖絵をメインとした展覧会です。
政治家小泉策太郎の七男として鎌倉市で生まれ、俳優小泉博は弟にあたります。山本丘人に師事し、1952年東京藝術大学日本画科を卒業。その後デザイナーとして活動し、陶芸家としても注目されたそうです。日本画家として注目を浴び始めたのは、50歳頃からで、ここのところ、建長寺・建仁寺の天井画をはじめとする、大作を制作しています。
2006年に完成した『聖武天皇御影』『光明皇后御影』は実際のモデルに当時の装束を考察、再現して着せてみて、メーク・結髪も行い、描かれたものです。
写生をせず、写真をもとに絵を描くことは好ましくないという観点で、確かにその通りだとは思うのですが、ちょっと耳が痛い話です。二眼レフなるものがあればいいのではないかしらん?という問題ではもちろんありません。
大広間の襖全面に描かれた『蓮池』の蓮の花は43ほどあり、全部違う種類を描いたそうです。その違いを前面に出すと蓮の品評会のようになってしまうので、手直ししながら仕上げたということです。
この東大寺本坊大広間の前庭には蓮池がある様子で、実際の場所で観てみたいと思いました。東大寺では、4月5日(火)から10日(日)の間、一般公開される予定で、桜のライトアップもあるようです。(月曜だけ外されてしまったのはなぜ?!)
『吉野の桜』
『東大寺本坊の桜』
桜の花びらは一つ一つ描いたもので、賽の河原の石を積むようなものだったようです。画面が大きく画面の上を自分が移動しながら描いてゆくのですから、そんな感覚になってゆくのでしょうね。
『東大寺本坊の桜』部分
桜の木の上から、地面が重ね塗られたようで、木が透けているかのような透明感があるのは、なぜでしょうね。
桜の大作は、この他に『しだれ桜』があります。月が出ていて、西行さんの「願わくば花の下にて春死なん其のきさらぎの望月の頃」といった風情です。
『墨蕪図』
1992年のこの作品は、銅版画のような空気感で、墨を駆使したこの人の個性を強く感じる作品だと思いました。建仁寺の龍もこの流れにある作品だと感じます。これらに比べ、今回の襖絵は、ちょっと違う作品群のようです。発注者の意向を踏まえた上での制作という事もありますが、氏の新しい世界が開けたようにも感じました。
『東大寺別当清水公照師像』
VTRの映像で、この別当を見かけ、特徴がよく出ているように思い、ちょっと愉快になりました。