2010年10月07日
陽成天皇陵
左京区浄土寺真如町に、陽成天皇 神楽岡東陵があります。真如堂から宗忠神社へ向かう途中です。
第56代清和天皇の第一皇子で、母は藤原高子です。
貞観18年(876年)27歳の清和天皇が突然譲位。
9歳で陽成天皇は帝位に就いています。
父である上皇、母高子、摂政藤原基経が協力して政務を行っていましたが、
元慶4年(880年)上皇の死後、基経が出仕しなくなり、政局が混乱したといわれています。
元慶7年宮中で天皇の乳母であった紀全子(きのまたこ)の子、源益(みなもとのすすむ)が殴殺されるという事件が起き、翌年、17歳(満15歳)で退位しています。
病気による自発的退位となっていますが、基経に退位を迫られたためとも言われています。
陽成天皇は暴君であったといわれていますが、真実は定かではありません。
その後、55歳の光孝天皇が即位しましたが、病のため、58歳で崩御。
いったん臣籍降下した定省親王(宇多天皇)が父、光孝天皇の後をうけ即位しました。
元侍従であった宇多天皇のことを、「あれはかつて私に仕えていた者ではないか」と言ったという逸話が残っています。
妃の一人、釣殿宮綏子内親王(宇多天皇の妹)にあてた歌が百人一首に入っています。
つくばねの 峰よりおつる みなの川
恋ぞつもりて 淵となりぬる
上皇として長生きし、天暦3年(949年)に亡くなっています。
- by zuzu
- at 09:08
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