2010年09月12日
光福寺
左京区田中上柳町に、光福寺というお寺があります。正しくは、干菜山(ほしなざん)斎教院安養殿光福寺と号する浄土宗知恩院派の寺院で、一般的に「ほしなでら」の名で親しまれています。
寛元年間(1243~1247)に道空上人が現在の長岡京市の西山安養谷(あんようがたに)に建立した斎教院が当寺の起りと伝えられています。
道空上人が、六斎念仏を普及させた由緒をもって、後柏原天皇から斎念仏総本寺の勅号を賜っっています。
六斎念仏とは、鉦や太鼓を鳴らし念仏を唱えながら踊る民俗芸能で、現在も京都の各地で催されていて、国の重要無形民俗文化財に指定されています。私もこちらのガレージで、昨夏、見せていただきました。くわしくは、リンクして頂いている「ブログ:ノルマ!!」さんのページに紹介されています。
天正10年(1582)に、月空宗心(げっくうそうしん)によって現在の地に移されました。
また、文禄2年(1593)に豊臣秀吉が鷹狩の途中に立ち寄った際、住職宗心が干菜(ほしな)を献じたことにより、秀吉から干菜山光福寺の称号を与えられたといわれています。
法然上人の幼名を、勢至丸(せいしまる)といい、 押領使・漆間時国の長子として生れましたが、9歳のとき、館が夜襲され父を亡くし、出家しています。法然上人800年大遠忌も近づいてきていますね。盛大な記念事業が行われるのでしょうね。
- by zuzu
- at 23:08
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