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2010年06月23日

京都市考古資料館 その2

飛鳥時代 
国家規模の開発が行われるようになります。写真は大藪遺跡ですが、堰をこしらえ、川を管理、利用しています。p6732.jpg
仏教の伝来により古墳がつくられなくなり、寺院の建立が行われます。北野廃寺、樫原廃寺など、次々と寺院の建立が進みます。写真はそのひとつ、北白川廃寺です。p6731.jpgp6730.jpg

長岡時代
短命であった長岡時代は、都づくりのためおおくの木材が運ばれてきました。p6729.jpg
災いが多かったため、大量の人面墨書土器や人方など、祭祀に使った道具が見つかっています。p6728.jpgp6727.jpg
平安時代
794年、桓武天皇により、長岡京より京都に都が移されました。
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写真は豊楽院正殿跡です。
大極殿や豊楽殿の屋根には緑色の瓦が葺かれ、大棟には鴟尾が、軒下には飾り金具が輝いていました.。
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鴟尾は宮殿の威容を示す象徴でした。
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豊楽殿推定復元模型です。p6723.jpg
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平安京に暮らす糸日との暮らしぶりが、食器、銭、下駄、まな板、櫛類からうかがい知ることができます。p6721.jpgp6720.jpgp6719.jpgp6718.jpg
平安時代も後期には、右京がさびれ、左京が栄えるようになります。白河には六勝寺の一つ、法勝寺の八角九重の塔がそびえ、雄大な庭や池、御堂、寝殿がつくられました。p6717.jpgp6715.jpg


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