2010年06月04日
新熊野神社
新熊野神社は、熊野信仰の盛んな平安時代末期、永暦元年(1160年)、後白河上皇によって創建された神社です。
後白河上皇は退位後、院政を敷き、現在三十三間堂の東側にある「法住寺」を住まいとしました。「法住寺殿」のその鎮守社として創建されたのが新熊野神社、鎮守寺として創建されたのが三十三間堂です。
一般の人が、熊野に参詣することは大変なため、熊野の新宮・別宮として創建され、長らく京の熊野信仰の中心地として栄えました。
「新熊野」と書いて「いまくまの」と読むのは、紀州の古い熊野に対する京の新しい熊野、紀州の昔の熊野に対する京の今の熊野という当時の都人の認識が、その由来となっているそうです。
八咫烏(やたがらす)が、かわいいですね。
もう一つ、この神社の歴史の中で、興味深いのが、能楽発祥の地とされている事です。
観阿弥・世阿弥親子がこちらで催した猿楽を、将軍足利義満が目にとめ、その後、義満は観阿弥・世阿弥親子を庇護するようになり、やがて能楽という芸術の域に大成させたというものです。
後白河上皇のお手植と伝わる大樟さんが見守る中、ここで猿楽が催され、発展していったかと思うと感慨深いものがあります。
この木を見ていると、後白河上皇が義満をここに連れてきて、猿楽をバックアップするように仕向けたのではないかと思ってしまいますね。
- by zuzu
- at 09:09
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