2010年06月01日
龍馬伝 外伝 -お龍と家族の引越し-
龍馬伝では、いよいよお龍さんが登場しましたね。
お龍さんは、青蓮院宮に仕える内・外科医 楢崎将作の長女として生まれました。
天保12年(1841年)に富小路六角付近で誕生し、しばらくして柳馬場通三条下るに移り住んだと云われています。
弟妹が4人いたそうですが、良家の娘としてお稽古事などして暮らしていたようです。
文久2年(1862年)父楢崎将作の死去により、生活が一変することとなります。
お龍は「京都の木屋町」もしくは「四条、うら通りの 借家」に移住することとなります。
木屋町通六角下る東側(高瀬川山崎橋東詰下る)
正確な場所はわかっていないため、このあたりということですが、この都会館1Fには、「龍馬」というお店があり、京都龍馬会の事務所でもあります。龍馬とお龍に扮したオーナー夫妻のもと、龍馬ファン・龍馬研究者が集っている場所でもあります。
こののち一家は離散し、お龍は単身七条新地の扇岩という店に奉公に出ます。母と妹君江は、洛東大仏南門前(現東山区本瓦町付近)の河原屋五兵衛(五郎兵衛)隠居所の土佐亡命志士の居所に住み込みで働くことになります。
この5月、東大路通塩小路西入る北側に、新しく石碑が建ちました。三十三間堂南の方広寺の南大門を少し東に入ったところです。
母の働くこの場所で、龍馬とお龍は、出会いました。
石碑 説明書き 画像の拡大
- by zuzu
- at 09:02
comments
大仏裏にも石碑が建ったのですね。
こういう石碑が増えるのは良いのですが、
ちゃんとした根拠に乏しいのが気になります。
「この付近」とは書かれていますが、
大抵の人が石碑のある場所だと思ってしまいますよね。
土地の問題が大きいとは知っていますが、
現地の説明書きできちんとフォローして欲しいところです。
でも、これまでの場所を見ている限り十分とは思えないなあ。
石碑横のプレートの説明文、追加しました(^^)
反射したりして写しにくかったので、斜めになってしまいましたが・・・。