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2010年05月31日

龍馬伝 外伝 -河田小龍 その8-

明治22年、66歳の小龍は、京都府知事 北垣国道からの招きで、琵琶湖疎水事業の記録図役となります。京都までの道中を、高知から室戸経由で、徳島、大阪へ淀川をのぼっています。その道中を「夢の浮世老の道行」として軽妙な画文の道中記を描いたようですが、現存していないそうです。
南禅寺境内琵琶湖疎水図
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広島・九州と旅し、広島では、明治天皇の御前揮毫を行っています。
京都に戻り、明治29年 妻照子を亡くしています。
龍図が好きだった小龍は、最晩年に大作「龍虎図」を描いています。
龍虎図 明治30年
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p6852.jpg
明治31年(1898年)12月19日 75歳で胃癌にて亡くなっています。
辞世
「三年の昔妻を衣笠山に葬りければ吾も亦身をここに納めんとて」と前置きして
はだ寒い 衣笠山の麓にて
    あとさき消ゆる 松の下露
と残しています。
衣笠山の麓 等持院に葬られました。p6850.jpg
等持院門前の駐車場左手の出入り口を出て、p6849.jpg
右手に真っ直ぐ進み、突き当たりを右に曲がるとp6848.jpg
立命館大学の門が見えます。p6847.jpg
この門を入り、真っ直ぐ歩くと、等持院の墓地にたどり着きます。p6846.jpg
墓地の右の方に河田家のお墓が並んでいます。p6845.jpg
真ん中は祖先代々墓、左が河田小龍墓、右は河田照女墓となっています。p6844.jpg

明日から6月ですね。1・2日は薪能の日です。2日の演目「祇王」に地謡で出演される能楽師 宇高通成さんは、小龍さんの曾孫にあたられるそうです。勝手に不思議なご縁を感じてしまいました。

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