2010年05月27日
龍馬伝 外伝 -河田小龍 その4-
-その3のおまけ-
藩札写真のリクエストがあったので、ここに拡大してみます。
鯨札・鰹札 表
裏
-その4-
幕末土佐の美術で、強烈なインパクトを受けるのが、土佐芝居画屏風です。
二曲一隻の屏風に芝居絵を描き大成させたのは、弘瀬 金蔵 通称 絵金(えきん)でした。
林 洞意(はやし とうい)という名で、御用絵師となりましたが、狩野探幽の贋作を描いた嫌疑を掛けられたことにより、その地位を追われ、破門されています。
城下を離れて町医者から弘瀬姓を買い取った後の消息がはっきりしていませんが、赤岡の地で、絵師 金蔵として蘇ります。土佐の夏の祭礼に奉納されていた歌舞伎芝居が幕府の倹約令で中止され、替わって絵金らの描いた芝居絵が奉納されるようになりました。歌舞伎の名場面をダイナミックに独特の色彩と手法で描きあげたその作品群は、土俗的であったり、血まみれの鮮烈な描写であったりして、一度見ると脳裏に焼きつく感じです。現在も赤岡では絵金祭として伝わっています。私も現地でその迫力を体験し、エグイかも~とか思いながらも、しっかり図録を買ってしまいました。血まみれじゃない作品を2つばかり・・・。
蘆屋道満大内艦(あしやどうまんおおうちかがみ)保名内(葛の葉子別れ)
二月堂良弁杉の由来(にかいどうろうべんすぎのゆらい)
絵金円熟期の作品と見られています。
多くは、絵金の弟子の作品と云われるその中に小龍の作品もあります。彼の作品は色彩も地味で、動きも硬いようです。
関取千両幟
壇浦兜軍記 阿古屋の琴責め
- by zuzu
- at 11:07
comments
有り難うございました。
維新の時、明治政府が成立してかつ未だ廃藩置県が行われていない僅かの間に、新政府の手で改易された藩がたった一つあった。九州の黒田藩ですが、理由は政府に無断で藩札を発行したから。と云う話を聞いたことがあります。それで幕末の藩札というものに興味があったのです。
明治政府が各地の藩札を買い上げると言う方針をいち早く後藤象二郎から聞き出した岩崎弥太郎が買い占めた藩札というのが、これなんでしょうかね?
価値が暴落していたこの藩札を、明治政府に高値で売り払い、富を手に入れたという話ですが、龍馬伝では龍馬の死んだ後のことだから、もちろん放送されませんよね(^^)