2010年02月22日
後鳥羽天皇
延応元年2月22日(1239年3月28日)、平安末期から鎌倉初期の第82代天皇 後鳥羽天皇(ごとばてんのうが亡くなりました。
平氏とともに西走した安徳天皇の代わりに、後白河法皇が4歳の尊成親王を即位させ、後鳥羽天皇となりました。
後鳥羽天皇の御所はいくつもありましたが、上京区五辻通千本東入北側にも、五辻殿の石碑が建っています。上皇になった後に住まいされています。
承久3年(1221年)、後鳥羽上皇は、時の執権北条義時追討の院宣を出し、畿内・近国の兵を召集して承久の乱を起こしましたが、幕府の大軍に完敗。
後鳥羽上皇は隠岐島に配流されました。流される直前に出家して法皇となった後鳥羽上皇は、四条天皇の代に、配所にて崩御されました。
歌人として有名で、歌集として『後鳥羽院御集』や『遠島百首』を著しています。また、和歌所を設けたり、藤原定家に『新古今和歌集』の勅撰を命じています。
菊を好み、自らの刀に印として菊の紋を入れたそうで、その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が自らの印として継承し、慣例のうちに菊花紋、ことに十六八重表菊が天皇・皇室の「紋」として定着していったということです。
- by zuzu
- at 09:06
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