2009年12月17日
東山天皇と忠臣蔵 法住寺
宝永6年12月17日(1710年1月16日)東山天皇(ひがしやまてんのう)が天然痘にかかって34歳で崩御されました。江戸時代の第113代天皇で、長く廃絶していた大嘗祭の儀式を復活させた方です。
1701年3月、東山天皇が江戸へ派遣した勅使の接待をめぐって、あの忠臣蔵の松の廊下の刃傷事件が起こっています。
近衛基熙の日記に、近衛が東山天皇にこの凶事について報告をしたとき、天皇はお喜びになられた旨が記されています。天皇は、吉良義央を好ましく感じていなかったようです。
帰洛した勅使両名及び院使・清閑寺熈定の3人を、事件後将軍へ何の取り成しもせずに傍観し、浅野長矩及び浅野家を見殺しにしたのはけしからんとして参内禁止の処分を行っています。
12月14日、東山七条の法住寺でも、義士の法要が行われました。
こちらの慈覚大師の建立と伝わる身代不動明王に、山科に閑居していた大石内蔵助(良雄)が仇討ち祈願をしたといわれています。同志との連絡・会合の場所でもあったそうです。その縁から四十七士の小像も安置されていて、毎年、この日に法要が営まれています。
- by zuzu
- at 09:04
comments
東山天皇と忠臣蔵
全く初めて聞いたお話です。
とても興味深かったです。
所でこの日法住寺へはおいでになったのですね?
(少なくとも門前までは)
私は柄にもなく会費を払って中に入っていました。
そうですか。それは残念なことをしました。
討ち入りそばを頂くつもりで出掛けたのですが、
途中で、ころっと忘れてお昼を食べてしまい、
法住寺に着いた頃には、お腹が一杯だったものですから、門前で引き返してしまいました。
討ち入りそばが、どんな物やら気にはなったのですが・・・。
ふくろうさんは、法住寺ブログアップされるのでしょうか?
楽しみにお待ちしています。
20,21日に分けてアップします。
20日の分~お蕎麦を見たら止めて良かった、と思いますよ。
21日の分~島原太夫の内八方を堪能できました。入れば良かったと思いますよ。
太夫さんも来たはったんですか?舞妓さんのお手前だけかと思っていたので、それは残念な事をしました。