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2009年12月15日

小野篁

承和5年(838年)12月15日 遣唐使の副使を断り、遣唐使制度そのものを批判したことから、小野篁(たかむら)は、嵯峨天皇の怒りに触れて隠岐へ流罪になりました。承和7年(840年)には帰京を許され、従三位にまで叙せられました。
わたのはら 八十島かけて こぎ出ぬと 
      人には告げよ あまの釣船
これは島へ渡る際の歌です。

初代・遣唐使の小野妹子の子孫で、小野道風・小野小町のご先祖でもありますが、冥府に通い、閻魔王庁で裁判を手伝っていた人物としても有名です。
井戸を通って地獄に赴いていたのですが、その入り口は東山の六道珍皇寺に今もあります。出口の井戸はというと、嵯峨の福生寺にあったのですが、現在は井戸も寺も存在しません。嵯峨釈迦堂の東のあたりは六道町といい、かつて福生寺のあったあたりです。

地獄で、苦しむ亡者のために罪を受けているという地蔵尊に出会い、現世に戻り福生寺を建立して地蔵尊を祀ったということで、嵯峨釈迦堂藤ノ木町の薬師寺にその地蔵尊は伝えられています。
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閻魔大王が、三熱の苦しみにあえいでいて、菩薩戒を受けたいと望んだ折には、満慶上人を案内し、上人の菩薩戒で閻魔大王の苦しみを除いたという話もあります。これは、寺町三条上るの矢田寺に伝わる話です。p7879.jpgp7878.jpgp7877.jpgp7876.jpg
布製のかわいいお地蔵さまのお守りがなんともいい感じです。p7875.jpg

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