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2009年12月03日

黒田長政

永禄11年(1568年)12月3日に黒田(官兵衛)孝高の嫡男 松寿丸(長政)は生まれました。

天正5年(1577年)、父・官兵衛が織田信長に属したため、人質として近江国長浜の羽柴秀吉に預けられました。
天正6年(1578年)、荒木村重が信長に反旗を翻したとき(有岡城の戦い)、官兵衛が村重を説得する為に伊丹城に乗り込みましたが、捕われてしまいます。信長はいつまでも官兵衛が戻らないので、村重方に寝返ったと思い込み、幼い長政を処刑するよう命じますが、竹中(半兵衛)重治の計らいで匿われ、一命を落とさずに済みます。信長の死去の後、父と共に秀吉の家臣となります。
天正17年(1589年)、父が隠居したために家督を相続し、同時に従五位下、甲斐守に叙任します。

上京区油小路の中立売通から、上長者町通までの間は甲斐守町といい、長政の邸のあったあたりと言われています。p7964.jpg
これより上、堀川一条東入るには、諸侯屋敷・ 一条下り松 遺跡 の石碑が建っています。p7963.jpg
聚楽第周辺に諸侯の邸があった事を示しています。p7955.jpg

*一条下り松 遺跡 
 宮本武蔵との決闘で名高い吉岡の道場があったとされる場所でもあり、その裏庭に松があり下り松といわれ、そこで決闘がなされたと伝えられています。一乗寺下り松は、この一条下り松が誤り伝えられたものという説があります。

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