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2009年11月05日

大村益次郎

明治2年11月5日(1869年12月7日)大村益次郎が大阪で亡くなりました。
二ヶ月前の9月4日に京都で関西の軍事施設視察時に、反対派浪士に襲われ襲撃された際の傷の悪化によるものでした。

明治維新草創時、外国の侵略に耐えうる統制のとれた軍隊をつくる事が必須であると考え、日本の国は日本国民全てで守るべきだという考えのもと、武士を廃止して、新しく徴兵制をしき、近代的な軍隊の建設を計画しました。しかし、急激な改革の計画を必ずしも好ましく思わない武士たちの不満が高まり、襲撃される事となり、志半ばで亡くなりました。

中京区三条通木屋町北西角に、道標の碑が建っています。
p8118.jpg
佐久間象山先生遭難之碑
大村益次郎卿遭難之碑
北へ約壱丁
そして、北に進んで、木屋町通御池上る西側に襲撃された宿の跡を示す石碑があります。p8117.jpg
さらに東側にも宿所の跡を示す石碑が建てられています。p8116.jpg

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