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2009年11月03日

君が代とさざれ石

1880年(明治13年)、日本の国歌として「君が代」が採用され、11月3日の天長節の日、初めて公に披露されました。
平安朝時代、文徳天皇(在位850~858)の皇子惟喬親王(これたかしんのう)に仕えたひとりの木地師が、江州小椋郷(現在の滋賀県東近江市)の君ケ畑から木地椀の良材を求め春日村に移り住み、江州の君ケ畑へ通う途中、自然に凝固、苔むして巨巌となっている珍しい石の状態を見て、ありのまま、「わが君は、千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」(天皇の御代が千年も八千年もいついつまでも、さざれ石が大きな岩になってそれがさらに苔が生えるほどにまでに、長く長くずっと続きますように)と詠みました。
都では見かけぬ珍しい石であり、秀ぐれた歌であるとして『古今和歌集』に採録されました。しかし、その男は身分が低かったので、「読み人知らず」の歌と扱われましたが、その後、朝廷から歌の上手さを認められ、石にちなんで藤原朝臣石位左衛門(ふじわらあそんいしいざえもん)という名前を授けられました。
この歌が、上一句を替えて国家の原歌となりました。

上記にように、岐阜県揖斐郡揖斐川町春日村では、記されています。
p8119.jpg
上の写真は、護王神社(上京区烏丸通下長者町下ル桜鶴円町(京都御所蛤御門前))のさざれ石です。下鴨神社や北野の天神さんでも、見た事があります。
さざれ石は、学名を石灰質角礫岩と言います。これは石灰石が長い年月の間に雨水で溶解され、そのとき生じた粘着力の強い乳状液(鍾乳石と同質)が次第に小石を凝固して、だんだん巨石となり、河川の浸食作用により地表に露出したものです 。

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