2009年10月11日
千代の古道 生田口-大覚寺
昨日に続き、千代の古道を行きます。
生田口 大黒屋を右に曲がり、北上する道の右脇に立っているはずの石碑がありません。道路も真新しく、右手は分譲中とあって、一時抜かれているのかも?もしくは近くに引っ越した?
さがの山 千代のふる道 あととめて
また露わくる 望月の駒
藤原定家
という歌が刻まれていたようなのですが・・・。
ともかく、北へ。新丸太町通から北へ上る山越通の右角にありました。
いにしへの 千代の古道 年経ても
猶あとありや 嵯峨の山風
後鳥羽院
山越通を北へ
信号機の近くにありました。
光孝天皇が、嵯峨天皇の例にならい、芹川に行幸した際に供奉した行平が詠んだ歌
さがの山 みゆき絶にし 芹川の
千世のふる道 跡はありけり
在原行平朝臣
道は左にカーブしてさらに進みます。別の道との合流地点に次の石碑がありました。
里人も 千代の古道 幾かへり
春の嵯峨野の 若菜つむらん
藤原為家
小倉百人一首の定家の息子さんです。
さらに古い石碑もありました。
少し進んで、29号線との交差点左側にありました。
子の日せし 千代の古道 跡とめて
昔を恋ふる 松も引かなん
後嵯峨院
吉野の桜を取り寄せ、嵐山に植えた方です。嵐山の春の賑わいはこの方のおかげです。
交差点を左に曲がると、もうすぐ広沢の池です。
文徳帝の御陵を示す石碑
横に、刻まれている文字 最後は千代の中道かと?
広沢の池に出ました。
池を通り過ぎたところ、右手に発見
御幸せし 昔の秋の 跡とめて
紅葉をわくる 千代の古道
村田春海
村田春海さんという人は江戸の歌人だそうです。
ここで、29号線から、北の方へ入ってゆきます。田んぼ道の曲がり角にありました。
君が代の 千代の古道 ふりはへて
引くや子の日の 嵯峨の山松
加藤千蔭
この人も江戸の歌人だそうです。
生田口から、大覚寺までの歌碑は、「千代の古道」が歌に詠み込まれたものがセレクトされているようですね。
謡「小督」の中にも下の一節が出てきます。
所を知るも嵯峨の山 御幸絶えにし跡ながら
千代の古道たどり来し 行方も君の恵ぞと
そして、ようよう大沢の池に着きにけり~(^^)
- by zuzu
- at 09:05
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