2009年10月05日
櫛まつり 2009 -江戸時代前期~中期-
昨日に続き、安井金比羅宮における櫛祭りの模様です。
江戸前期
立兵庫(たてひょうご)
摂津国兵庫の遊女から起こった「唐輪髷」(からわまげ)の変形で、次第に一般の婦人の髷としても見受けられるようになりました。
島田
元禄笄髷(げんろくこうがいまげ)
笄髷は従来の髷には使用されたことのない笄を使って結った髷で、形式も一定していません。根元近くに笄を通して周りに髪を巻きつけたものです。
笄髷(中村蔵之助の妻)
女子の外出時には、昔から被衣(かづき)が用いられていましたが、江戸前期の町屋では、このような輪帽子を当てたりしました。
江戸中期
元禄島田
天和(1681~84)~元禄(1688~1704)にかけて盛んに流行した髪型です。
髱(つと)は最初は太く丸めですが、だんだんと細く長く後ろへ突き出すように変化してゆきました。
元禄勝山
遊女勝山が結い始めて流行したものです。武家の出身であったといわれる勝山は、武家風を好みその髷も上品であったことから、一般の女性にも盛んに結われるように後の日本髪の系統の基本となる「丸髷」の原型となりました。
横兵庫(よこひょうご)
前期の立兵庫髷を横に倒したもので、堅気の女性ではなく、粋な商売女たちに結われた髪型です。
お梶
「ばい髷」といって、かんざしを立ててこれに髪を巻きつけて結び、残りを外に出したものです。
春信風・島田
町屋の娘に結われ流行した髪型で、当時の鈴木春信の浮世絵によく見られます。
丸山鬢・笄髷(まるやまびん・こうがいまげ)
髱(つと)の突き出した髪型の後に反動として出てきたのが、奥行きが短く鬢の張りを強調した(横に張り出した)髪型です。
丸山鬢・島田
鬢を張り出すことは、京都の祇園新地から明和(1764~72)頃に起こったものと考えられています。
丸山鬢・丸髷(まるやまびん・まるまげ)
歌麿の美人画に多く描かれています。勝山髷といわれることもあり、鬢や髱は比較的小さく、髷の大きさが目立っています。
引用 日本伝統の髪型 櫛祭り作品集
京都美容文化クラブ編
- by zuzu
- at 14:55
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