2009年09月20日
村岡局
亀山公園の百人一首歌碑を巡っているうちに、村岡局の銅像に遭遇しました。
先の大河ドラマで、篤姫に賜った三つ葉葵の御紋入り内掛けをまとって、取調べの場に出てきた女性です。
大覚寺門跡家臣 津崎左京の娘で、本名 津崎 矩子(つざき のりこ)。
近衛家に長く仕えていました。 篤姫が近衛忠煕の養女として家定に輿入れする際、近衛忠煕の正室・郁姫がすでに亡くなっていたので、代わりに養母としての役目を果たしました。
近衛忠煕を動かす人物として、尊攘派の注目を集めることとなり、僧月照や西郷隆盛らを取り次ぎ、公家と志士の連絡等尊攘運動に尽力しました。
この為、安政の大獄で捕われ、江戸へ送られ厳しい尋問を受ける事となりました。
江戸への捕われの旅でよんだという歌が残っています。
日日に かはる旅路に かはらぬは
人の心の まことなりけり
30日間の禁固刑の後、京に戻り、北嵯峨の直指庵を再興してそこで余生を過ごしました。
雨あられ 激しく降れど 軒深き
わが家はそれと 聞こえざりけり
明治6年8月23日 88歳で亡くなりました。
写真は亀山公園を下りてきた竹薮の道です。
- by zuzu
- at 09:09
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