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2009年09月06日

高台院

豊臣秀吉の正室である北政所(出家して高台院湖月尼)は、寛永元年9月6日(1624年10月17日)に亡くなりました。
名前については、「ねね」「おね」「ねい」など、説が分かれていますが、東山の高台寺あたりでは、ねねの道という通りの名が、定着しています。
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豊臣秀吉の死後、北政所はその菩提を弔うための寺院の建立を発願しました。
北政所の実母・朝日局が眠る康徳寺(寺町通御霊馬場にあった曹洞宗の寺)を移築して新たに高台寺を開創しました。
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秀吉没後の権力者となった徳川家康は、北政所を手厚く扱い、財政的援助を行なったので、寺観は壮麗をきわめたといいますが、たびたびの火災にあって多くの堂宇を失い、現在に至っています。
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高台寺の西側にある塔頭の圓徳院は、伏見城の化粧御殿を移築したもので、北政所の居所とされました。北政所は慶長10年(1605年)から亡くなるまでここに住まいしました。p8610.jpg
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ともなひて 眺めにあかし 深雪山
    帰るさ惜しき 花の面影

醍醐の花見の際に、ねねの詠んだ歌です。

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