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2009年09月01日

坂本龍馬と乙女ねえやん

昨日分のエントリーと日時が、前後していますが・・・。

土佐藩士 坂本龍馬の姉である坂本乙女(さかもと おとめ)は 明治12年(1879年8月31日)に亡くなっています。
文武両道で、大柄な頼もしい感じのイメージの人です。龍馬の母親代わりとして、幼い頃は泣き虫だった龍馬を教育したそうです。

龍馬はこの姉を慕い、何度も手紙を書いています。
写真は龍馬の京都での住まいとなっていた河原町通三条下る一筋目東入北側にある材木商酢屋(中川嘉兵衛方)です。
ここを海援隊屯所としていました。この二階の部屋からも、乙女ねえやんに向けて、手紙を書いていたのでしょうか?
P7132358a.gif寄っていかんかえ?P7132356a.gif
写真内の龍馬は、合成ですので、ここに立っている訳ではありません。念のため(^^)

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comments

さすがzuzuさん、細かいところまで押さえてますね。
私は乙女大姉の命日までは覚えてませんでした。

龍馬はここから乙女姉に対して手紙を書いている様です。
遭難のおよそ半年前、大政奉還に向けて活動していた頃でしょうか。
諸国を回りたいと言う姉をたしなめたり、
海援隊が土佐藩の援助受ける事を言い訳したりと、
手紙の内容は豊富ですね。
それがこの場所で書かれたと思うと、感慨深いものを感じます。

なおくんは、さすがによく調べてらっしゃいますね。
勉強になります。

今では、高知の友人ともメール連絡なので、即効返事が返ってきますが、この当時は、時代が急速に変化しているのに通信手段は、ゆっくりで歯がゆくはなかったでしょうかねぇ~。

  • zuzu
  • 2009年09月02日 12:23
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