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2009年08月18日

秀吉 北野大茶会と茶くれん寺

慶長3年8月18日(1598年9月18日)伏見城において、秀吉は亡くなりました。

天正15年(1587年)10月、北野の天神さん境内において、秀吉は大茶会を催しました。P8709.jpg
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九州平定と聚楽第の竣工を祝って催した大茶会で、当初、10日間催される予定でしたが、1日で終わっています。肥後の一揆のせいともいわれています。
秘蔵の名物茶器・道具がそろえられ、秀吉、利休、宗易、宗及らの茶人が亭主をつとめたそうです。
1000人もの人が参加したという事ですから、それは盛大なイベントだったことでしょう。

おもしろいのは、やはり茶くれん寺のエピソードですね。
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茶会の会場へ向かう途中、秀吉は千本今出川西入るの「浄土院」という尼寺に立ち寄っています。
豪華ないでたちであったであろう秀吉が、ふいに尼寺の前に輿を止め、つかつかと寺に入っていって、茶を所望したのですから、お寺さんもびっくりしたことでしょうね。
茶の心得のある恐れ多くて、気ままなこの天下人にどうして粗茶が出せようものか。
対処に困った住職が、白湯を差し出すこと三度。
秀吉は「よし、以後、此の寺の名を湯だくさん茶くれん寺とせよ。」と命じたとのことです。P8724.jpg

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