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2009年08月01日

伏見城 落城とその遺構

関ヶ原の戦の前哨戦となった伏見城の戦いは、慶長5年7月18日(1600年8月26日)に始まり、8月1日(1600年9月8日)の鳥居元忠の討死、伏見城落城で幕を閉じました。後に、家康によって再建されましたが、次第に軍事的な必要性を失い、廃城となります。解体された遺構が、各地に残っています。
二尊院 嵯峨 
 総門 角倉了以が伏見城の薬医門を移築した門といわれています。
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観音寺 七本松通出水
 山門 伏見城の牢獄の門と伝えられています。
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堅牢な構えで、屋根の傾斜も美しく、朽ちかたも怪しい感じが漂い、歴女心をくすぐります(^^)P8828.jpgP8827.jpgP8815.jpg
門扉の左下(境内側から見て)に、くぐり戸があります。刑期を終えた囚人が牢獄を出る際に、ここをくぐって出たと云われています。P8820.jpg
門を出た囚人はこの門前で百たたきを受け、開放されたことから「百たたきの門」とも呼ばれていたといいます。
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観音寺にこの門が移築されてより、夜ごと、風が吹くと人の泣き声がするといわれ、出水の七不思議の一つに数えられています。P8816.jpg

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