2009年07月27日
天文法華の乱
天文5年(1536年)7月27日 法華宗と対立する延暦寺衆徒が京都の法華一揆を破り21の寺院を焼く 、天文法華の乱が終焉を迎えました。
強い勢力を持っていた法華宗と、細川晴元・茨木長隆らの軍勢が、一向宗徒の入京を聞きつけ、一向宗寺院を焼き討ちしたことに始まり、日蓮宗の宗徒(松本久吉)が比叡山西塔の僧の説法を論破した(松本問答)のをきっかけとして、比叡山と日蓮宗の対立が深まり、政治的思惑も絡み、六角定頼らを味方にした比叡山側が、二十一の寺を焼き、法華宗を京都から、追放した事件です。京都ではこの後6年間、日蓮宗は禁教となり、堺に逃れていた寺院は天文11年(1542年)に京都に帰還を許され、再建されました。
本圀寺(ほんこくじ) 山科区御陵大岩
写真は下京区大宮花屋町上るの本圀寺跡
本能寺(ほんのうじ) 中京区寺町通御池下る
写真は中京区油小路蛸薬師下るの本能寺跡
本法寺(ほんぽうじ) 上京区小川通寺之内上る
本隆寺(ほんりゅうじ) 上京区智恵光院通五辻上る
妙覚寺(みょうかくじ) 上京区新町通鞍馬口下る
妙顕寺(みょうけんじ) 上京区寺之内通新町西入
妙満寺(みょうまんじ) 左京区岩倉幡枝町
妙蓮寺(みょうれんじ) 上京区寺之内通大宮東入
立本寺(りゅうほんじ) 上京区七本松通仁和寺街道
などです。豊臣秀吉による京都の都市改造の一環として、さらに移転し、現在に至っています。
- by zuzu
- at 09:03
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