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2009年07月25日

平家 西国落ち

寿永2年(1183年)7月25日、後白河法皇に見放された平家一門は、京都を捨てて西国へ落ちていくことになりました。
平家一門は、めいめいの屋敷に火をかけ、6歳の安徳天皇を御輿にのせて、都を落ちてゆきました。

平家一族の屋敷は、北は松原通、南は正面通、西は鴨川、東は東山山麓あたりまでの広大な地域にありました。
六波羅蜜寺の周辺がその跡となり、三盛町、門脇町、池殿町などの、地名が残っているのみです。P8881.jpgP8882.jpgP8880.jpgP8879.jpg

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