2009年07月19日
蛤御門の変
元治元年7月19日(1864年8月20日)に起きた禁門の変は、蛤御門付近が激戦区であった為、蛤御門の変とも呼ばれています。
尊皇攘夷派の長州藩は、文久3年(1863年)の八月十八日の政変で京都を追放され、池田屋事件で多くの仲間を殺され、長州藩では、積極派と慎重派の意見が対立、ついに挙兵となります。薩摩藩・会津藩など幕府側の守る御所の下立売御門、中立売御門、蛤御門の3方向から攻撃をしかけます。
門の梁に残る弾痕って、これどすやろか?薩摩藩の軍勢に、あえなく長州軍は敗走し都から逃げる事になります。その際に火をつけた長州藩屋敷と、長州藩の生き残りを排除するために放たれた火が町に広がり、市内は焼け野原となりました。
ホテルオークラにある長州屋敷跡の石碑
- by zuzu
- at 09:08
comments
弾の跡
一般にこれだと思われていますが、確実ではないそうです。(私はこれで良いです)
間違いないのは梁にあるそうですが、よう見つけていません。
なるほど。上の方を探さないといけなかったんですね(^^)