2009年07月13日
上杉景勝・直江兼続の聚楽屋敷跡
今年に入って、上杉景勝と直江兼続の京都の屋敷跡に石碑が建ちました。
上京区黒門通一条上る西側に〈聚楽第 武家地 上杉景勝屋敷跡)の石碑。
同じ石碑北側には、〈此付近 応仁の乱ゆかりの地 細川勝久屋敷跡〉と刻まれています。
上京区堀川通椹木町西入ル南側には、〈此南 聚楽第 武家地 直江兼続屋敷推定地〉の石碑が建ちました。
同じ石碑の南側には、〈此北 聚楽第 武家地 上杉景勝屋敷推定地〉
さらには、東側に、〈平安京左京二条二坊八町 春宮坊 東宮町跡〉と刻まれています。
どちらも、歴史地理史学者の中村武生氏の解説が添えられています。実は、この方に先日偶然会ってしまいました。ブログで、お写真を拝見していたので、もしかしたら?と思ったらやっぱりご本人でした。
思わず、握手してもらいました(^^)かなり、ミーハーです。
- by zuzu
- at 09:01
comments
「上京区黒門通一条上る弾正町ダンショウ町に上杉景勝の屋敷があった」のは誤解です。
http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/juraku/nankai.htm#danzyo
弾正とは浅野弾正(浅野長政)のことで,上杉景勝のことではありません。
『輝元公上洛日記』の8月1日の条に書かれている位置および『政宗記』に書かれている文禄の役に向う行進のコースから,上杉景勝の屋敷は下立売の堀川から猪熊までの南側の区画にあったことが確実です。
従って弾正町ダンショウ町に建っている石碑(上杉景勝屋敷跡の石碑)はウソの表示をしていることになります。
コメントありがとうございます。
HP拝見しました。
私のようなミーハーな歴史好きでなく、詳しく検証されてらっしゃるようで、勉強になります。また寄せていただきます。