2009年06月22日
俊寛
左京区の岡崎法勝寺町にある満願寺は、平安時代に白河天皇が建立した法勝寺の跡地にあり、法勝寺執行であった俊寛僧都の住んでいた跡と言われています。
こちらは法勝寺の井戸といわれ、俊寛荒行の井戸とされています。
満願寺は天台宗の僧・最珍を開山として北野に創建されたのが起源で、その後、日蓮宗に改宗し元禄15年にこの地に移っています。
本堂
見返り美人
哲学の道の東、霊鑑寺の南側に「此奥俊寛山荘地」の石標が立っています。
後白河法皇の側近であった俊寛は、治承元年(1177年)6月、藤原成親・西光らの平氏打倒の陰謀に加わって鹿ヶ谷の山荘で密議を行っています。山荘跡はかなり、山の中のようなので、パスしました。
藤原成経・平康頼と共に鬼界ヶ島に流されたのち、御赦免の船に俊寛だけが、乗れなかった物語は、能や歌舞伎の演目になっています。
十七代目中村勘三郎(現・勘三郎の父)さんが、南座の顔見世で、演じられたのを、小学生の時に観て、あまりの嘆きように、子供心に、ものすごい!と感じました。目に焼きついてしまったようで、崖の上の勘三郎さんの姿は今でも思い出せます。
- by zuzu
- at 09:09
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