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2009年06月19日

白河法皇と忠盛の灯篭 

白河天皇は天喜元年6月19日(1053年7月7日)生まれの第72代の天皇です。
20歳で即位。応徳3年11月(1086年)、白河天皇は8歳のわが子の善仁親王(第73代堀河天皇)を皇太子に立て、即日譲位。白河院として自ら政務を執る、いわゆる院政を行ないました。
中宮賢子の死後は、女性関係のうわさが多く、崇徳天皇や平清盛が「白河法皇の御落胤」であるという話もあります。
寵愛する祇園女御のもとへ向かう途中のエピソードです。
P9143.jpg
五月雨の降る暗い夜、女御の住まいの近くの御堂のあたりで、前方に闇の中に光る怪しい化け物を見つけた法皇は、供の者に、殺すよう命じます。平忠盛が射殺そうと近づいたところ、どうも様子が違うと生捕りにしてみると、鬼と見えたのは老僧で、灯篭に火をつけようとして雨除けの笠をかぶり、灯明の火を入れたものを持っていただけであったということが分かります。P9145.jpg
法皇は、忠盛の思慮深さを褒め、褒美として、祇園女御を下賜された。この時、女御はすでに身ごもっていて、男の子なら、忠盛の子として育てるがよいと、おっしゃったそうです。P9144.jpg
生まれたその男の子は夜泣きをしていたので、法皇が

夜泣きすと ただもりたてよ 末の代は
        清く盛ふる こともこそあれ

と詠まれたので、清盛と名づけた。
これが平清盛=白河法皇の御落胤のストーリーです。

一説には、清盛の生母は、祇園女御の妹ともいわれています。

鎌倉期のものともいわれるこの忠盛灯篭は、今も祇園さんの本殿東側に怪しく建っています。

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