2009年06月15日
空海
宝亀5年(774年)6月15日を、真言宗の伝承では空海の誕生日をとしています。
淳和天皇の頃、全国的な旱魃や疫病の流行がありました。
天長元年(824年)東寺の空海に雨乞いの祈祷をさせようとしましたが、西寺の守敏僧都の願い出により、守敏が7日間の修法に入りました。満願の日、一天にわかに掻き曇り、大雨となりましたが、全国的な旱魃を解決できるものではなく、空海が呼び出されました。
この舞台となっているのが、二条城南側の神泉苑です。
空海の祈祷を妨げようと、守敏が諸龍を封じ込めていた為、天竺より善女竜王を勧請して、祈りをささげたところ、大豪雨となり、旱魃を解消することができたそうです。写真右の方に善女龍王を祀るほこらがあります。
この話はここで終わらず、恨みに思った守敏が空海を狙うようになり、ある晩、空海が羅生門前を歩いているところに、矢を放ったと言われています。矢はどこからともなく現れた僧の肩にあたり、空海は何も知らずに東寺へ、帰っていったということです。
空海の危機を救ったのはお地蔵様で、「矢取地蔵」と呼ばれ、九条通の羅生門跡の公園へ向かう入り口に祀られています。
肩の矢傷も痛々しいそうですが、頭巾をかぶられているので、確認できませんでした。
守敏のいた西寺は、その後荒廃し、現在では、石碑と礎石が公園の丘の上に残っています。建保年間に証空上人が西寺を復興し、浄土宗に改宗、西方寺としたそうです。後に、また西寺と改め、現在は旧西寺跡の西北の方に位置しています。
- by zuzu
- at 14:40
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