2009年06月14日
明智光秀 首塚
天正10年6月13日~14日(1582年7月2~3日)の深夜、明智光秀は 山崎の合戦で敗れ、敗走中の小栗栖で農民の竹槍に刺されて最期を遂げました。
ゆかりの寺では、14日を命日として、光秀公忌が営まれます。
三条白川橋を少し下がったところの東側、餅寅さんというお饅頭屋さんの横の路地を入ったところに、明智光秀の首塚というものがあります。「わが首を斬り、知恩院にて灰にせよ」という光秀の最後の言葉に従い、家来がその首を抱えて知恩院近くにまで逃れたが、この地で夜が明けたため、やむなく首を埋めたと伝えられています。
この話には諸説あり、この塚も移動しており、また他にも首塚は存在していて、真実は小栗栖の藪の中といったところではありますが・・・。
光秀の木像と位牌を祀った小祠と、五輪塔の笠石を重ねた光秀の首塚、後に光秀を演じた歌舞伎役者によって建立された「長存寺殿明窓玄智大禅定門」(光秀の戒名)と刻まれた石碑があります。
角の餅寅さんはこの首塚の管理をしてはるそうで、「光秀饅頭」という銘菓もあります。
この首塚は、首から上の病気にご利益があると信仰されているようです。
「洛中に桔梗の花が三日咲き」という川柳があります。光秀の家紋であるこの花はどこか寂しげでもあり、涼しげで凛としているようでもあります。
- by zuzu
- at 09:04
comments
今の季節、此処には何時も桔梗の花が手向けられていますね。
とても心に響く光景です。
私は信長フリークですが、明智光秀も同じくらいに好きなんですよ。
私の実家も桔梗の家紋なので、なんとなく親しみがあります。
先日、YAHOOの中の性格診断で、4人の武将(信長・秀吉・家康・光秀)のうち、あなたはどのタイプ?というテストをしましたら、光秀タイプとの結果が出ました(^^)