2009年05月03日
當麻寺の牡丹と中将姫 その2
中将姫伝説
聖武天皇の頃、藤原豊成と妻 紫の典侍の間では、なかなか子宝に恵まれず、長谷寺の観音に参篭して祈願をこめ、ようやく生まれたのが中将姫であった。不幸なことに、姫が5才の時、その母が亡くなり、父豊成は橘諸房という人の娘である照日前を後妻として迎えた。継母の照日前は、次第に姫を憎むようになり、ついには殺そうと計画する。家臣の働きにより、姫は死んだと偽り、山中に住まううち、父と再会し、屋敷に戻るも、仏門に入る事を決心して、当麻寺へ向かう事になる。17歳の時、実雅法師によって髪をおろして出家して「中将法如」となり、修行に励む事となる。ある時、霊感を得て百駄の蓮華の茎から繊維をとって一夜にして曼陀羅を織りあげ、その後29歳の若さで、浄土に帰った。という話が伝わっています。
中将姫の像
西塔近頃では、中将姫も発展家になられたようで、草食系男子?のせんと君をデートに誘った模様ですね(^^)
5月14日に営まれる法要「練供養会式(ねりくようえしき)」に、せんと君をお招きするそうです。
- by zuzu
- at 09:00
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