Search


2009年03月06日

正伝寺

蓮月尼の墓を後にして、さらに北に進むと、正伝寺の門前に着きます。RIMG020936.gif
文永5年(1268)に東巌慧安(とうがんえあん)禅師が烏丸今出川に兀菴普寧(こつたんふねい)禅師を開山として創建するも、叡山の衆徒の為に破壊される。賀茂の社の社家の協力により、現在の地に移ったということです。RIMG020937.gifRIMG020938.gif暖かそうな帽子を被せてもらって、にっこり(^^)
RIMG020939.gif途中、左側にかわいい鐘楼がありました。RIMG020941.gif
鐘の標準サイズというものが、どれくらいの大きさなのか知りませんが、私の初めて見て、慣れ親しんだ鐘は、知恩院さんので、その次に見た鐘といえば、歌舞伎の舞台上、娘道成寺の鐘ですから、まぁ大概の鐘は小さいなという認識になってしまいます。静かな山道を登っていくと本堂が見えてきます。RIMG020940.gif応仁の乱後の荒廃を嘆いた徳川氏によって、金地院から移建されたもので、伏見城の遺構といわれています。
破風に施された懸魚(げぎょ)は、アカンサス(古代ギリシャ・ローマ建築の柱頭の意匠に主に用いられている葉)模様で、桃山時代でも特にめずらしく優れているといわれているようです。RIMG020943.gif方丈の襖絵は、狩野山楽筆のもので、数少ない作品の中の傑作だそうですが、ほとんど消え入りそうな感じで、そのすばらしさを認識できませんでした。
RIMG020942.gif
方丈の広縁の天井は有名な血天井です。おもわず、細部を眺めて、割腹した人たちを想像してしまい、重い気分になってしまいます。
気分一新しようとシンプルな庭を眺めます。RIMG020945.gifRIMG020944.gif
RIMG020946.gif
叡山を借景に、白砂の上に7・5・3の刈り込みが並んでいる、石を使っていない枯山水でめずらしいものです。5の方丈の島を中心に7の蓬莱の島と3の瀛洲(えいしゅう)の島とが、中央に向かっているのだそうですが、違う見方もあり、獅子の子渡しとも云われています。
刈り込みは、真冬で、緑が美しくはないですが、叡山は、綺麗に借景の役目を果たしていました。1人で、静かな景色を満喫できましたが、この寺がこの地に移ってきた経緯を考えると、微妙な借景ではあります。
庭の右手の庭門の懸魚のデザインです。RIMG020950.gif
RIMG020947.gif
帰り道、竹やぶのざわめく中を下ってゆきます。RIMG020948.gifここへ来るのは、車ではなくこの道を歩いて上るのがなんともよい感じでしょうねぇ。
RIMG020949.gif

trackbacks

trackbackURL:

comments

あのちっちゃい鐘楼、僕は大好きです。
それと山楽、あすこの場合、鼻をくっつけて細かいところまで見ることが出きるのが、貴重ですね。
庭は伝小堀遠州の一つですが、そう言っても良いレベルのように思います。
ただ皐月が彼が決めた通りの大きさの侭で400年居るはずはない・・・?

あの鐘楼、いわく付きじゃないようですしね(^^)屋根の感じもいいし。
お持ち帰りするには、襖は大きすぎですが、昨今の盗難や、落書き騒ぎを考えると、あんなに、ご自由にという雰囲気だと、心配になりますね。
伝小堀遠州作は書き忘れましたね(^^)
緑が美しい頃にまた訪れたいですね。
すっきりして、好きな庭です。

  • zuzu
  • 2009年03月07日 16:10
comment form

(ZUZU log にはじめてコメントされる場合、不適切なコメントを防止するため、掲載前に管理者が内容を確認しています。適切なコメントと判断した場合コメントは直ちに表示されますので、再度コメントを投稿する必要はありません。)

comment form