2007年11月07日
11月5日 エディット・ピアフ
11月5日 「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」
映画「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」を観ました。
いくつかの時代を縦横無尽に行き来する、構成になっているのが、少し、ややこしい感じがして、最初は年代に注意して、観ていましたが、煩わしくなり、あまり時代の流れを意識せずにそのまま受け止めた方が、監督の意向に沿っているのかも?と考えると、楽に観ることができました。でも人物名の類似や、似たような顔(西洋人が、似たような顔に見えてしまう私個人の問題かも?)はちょっとややこしいかも?
主演のマリオン・コティヤールの迫真の怪演?は、見事で、本物のピアフに見えてしまいました。ピアフが憑いてるんじゃないかしらん。これってピアフの声よね?と思っても、舌やのどの動きが、まさに彼女が歌っていると感じられました。実際、口パクだけでなく、歌っているシーンもあったようですが。年齢も若い時から、ばあさまのような40代まで、特殊メークも含め、俳優って大変ねぇと感心します。
いくつかのエピソードなどを省いて、ボクサー、マルセル・セルダンとの愛を象徴的に描いている感じで、彼の死のあと、ふらふらと部屋を歩き、愛の讃歌を歌うステージへと、つながるシーンは、なかなかの演出ですねぇ。
フランスで活躍する日本人カメラマン永田鉄男さんが撮影監督として参加されていたそうで、やわらかい光を演出する為に、ティッシュを床に敷き詰め、そこに光を反射させて、役者を撮っていたそうです。ノスタルジックな懐かしいような、空気の色はそんな風に創られていたんですねぇ。撮影現場を想像するとちょっと、おもしろいけど。
ピアフの歌が好きだから、観ておかなきゃと思って久しぶりの映画館に足を運びましたが、想像通りの人生と映画という感想です。強烈な個性には軽い嫉妬心さえ感じます。
ラストの「水に流して」の曲のシーンは、勇気づけられる思いがしました。愛の讃歌で終わってほしいと思う人の方が、もしかしたら、多いのかもしれませんが、私的には、あの歌で終わられると、重いなぁと感じてしまうので、救われた感じです。
運命に翻弄されながらも、ピュアでわがままなぐらい自由に、自分の力で生きた人生に、共感します(私はあんなにも好き勝手でも破滅的でもないと思うけど)。でも今の時代に共感する人は、少ないかもしれませんねぇ。
死の床で蘇る思い出や、人生への思いというものは、どんなものなのでしょう?自分ではまだ経験してないから、想像しにくいけれど、この映画の構成のようにランダムに過去の記憶がフラッシュバックするのでしょうか?不幸も幸せも多くの体験を経た人生の方が、豊かで、回想するには感慨深いでしょうね。不幸を知ると幸せの味わいも濃くなるかと考えます。いずれ来るその時に、私自身は、何を思うのでしょうねぇと考えさせられます。でも、回想する間もない死に方というのもあるし、こればかりはわかりませんね。できたら、少し自分の人生を振り返って、いろいろあったけど、楽しかったなと泣き笑いで死にたいな。
- by zuzu
- at 12:30
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